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勝手に相手の心配をする人

なんでしょう。いませんか?そういう人。

「コロナの状況で大変かとは思いますが・・・」
「不安な日々を過ごされている中、ストレスもたまりがちになるかと思います・・・」
「あまりやりすぎると、体調崩すので・・・」

あ、これ、全部実際に、周りの人々から言われたことで、

うーーん、「非日常」が連続的に起こる世界で生きてきたから、コロナ関係なく、適応してるけどな。うーーん、勝手に私の日々が「不安」と決めつけられているのはなぜ?ストレス抱えてるのは、あなたでは?うーーーん、てか私の何を知ってるのだ?私は10年程風邪も引いていないけど、あなたの体調は大丈夫?

とりあえずその場では、聞いている(ふり)けど、私はそういう人々とは自然と遠ざかっていく。なぜなら、その人の「心配」の対象は、私ではなく、その人本人の心の不安を象徴しているのだと思うから。

私自身は、物事を同時並行で進めていくのが好きで、直観で動くタイプの人間だから、そういう「自分らしく」生きている時間、何かに夢中になれる時間が多ければ多いほど充実していて、正直、そういったときに、外的要因がどうとか、起こっても無いことを心配している時間すらもったいないと感じている。できないんじゃなくて、どうやったらできるのかを考え続ける人生のほうが、絶対に面白い。だから、そういうときに、いろいろ同時進行で進めている自分に対して、「無理せずに・・・」「心配だから・・・」とか言われても困るし、「いや、その時間を、自分に向けてあげて!」と思ってしまう。もちろん、私のことを考えてくれているその時間は有難いのだけれど、まずは、それぞれが自分の精神を安定させることに集中してくれと思う。

なんだかこれ、日本の親子関係にも言えると思っていて、(まぁ、人間関係全般なのか?)自尊心が低い分、親が子供に依存して、怒ったり、心配したり、そうやって、本当は自分の精神が不安定なのに、それに気づかずに相手を心配しているフリをして、子供が成績良かったら、安心、子供が静かにしていたら、周りに迷惑をかけないから安心。とか。

子供の立場で物事考えたとき、「あ、その環境、絶対生きづらいだろうな」と思う。自らの周りに「配置」する人々を選べるようになると、生きやすくなるし、楽になるんだけど、子供は身近な人々(親)を選べない。

なんか、もう一言だけ。親でも、そうでなくても、「自分が夢中になれることを探すことにもっと時間使ってあげて、自分のために」と言いたい。ヨガの先生も言っていた。「我々がしなければならないのは、自分自身を調整することだけだ」と。そうした大人が増えることによって、この国の子供たちはもっと生きやすくなるから。

”The greatest gift a parent can leave a child is that parent's own independence.”
「親が子どもに与えられる最高の贈り物は、親自身の自立である」
by ロザムンド・ビルチャー(小説家1924-2019)

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