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【系図】三英傑(織田・豊臣・徳川)関連系図

 系図の話(ようやく一本完成した・・・)。今回は、今年の大河ドラマ『麒麟が来る』でも登場した戦国武将、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、いわゆる「三英傑」の系図をマニアックに書いてみた。(といいつつも、主人公が明智光秀ということもあり、今回の系図には、劇中には出てこない人物ばかりなのだけれども、背景にはこんな人物たちとのつながりがあったということを見ていただけたらとも思う)

下記は、以前、ポストカードサイズに作成した織田弾正忠家系図。

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 織田弾正忠家で「信」の文字が通字として用いられていたのがわかる。(ちなみに長島一向一揆との戦いや本能寺の変で信長の血縁の多くが亡くなっている。下記の系図赤文字参照)

 これを発展させ、わかる限り婚姻関係(母親は誰かとか、同母兄弟なのか異母兄弟なのか、養子など)を書き込み、織田信長周辺の婚姻関係を表した系図を作成してみた。

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 信長から繋がる婚姻関係をいろいろつないでみると、三英傑(信長・秀吉・家康)の関連系図になった。

 豊臣秀吉は、信長の存命中にはその子どもを養子に迎えたり、その死後には、側室や養女に迎え、織田家の血筋を求める傾向が見られた。

於次丸秀勝(信長の子)→秀吉の養子
三の丸殿(信長の娘)→秀吉の側室
茶々(淀殿・信長の姪)→秀吉の側室
江姫(崇源院・信長の姪)→小吉秀勝(秀吉の甥・養子)と婚姻(※1)

※1 江姫は、秀吉により初め信長の甥の佐治一成(信長の妹・お犬の方の子)に嫁いでいたが、離縁させられ、秀吉の養子(姉の子)である小吉秀勝に嫁いだが、朝鮮出兵中に陣没し、のちに家康の子・秀忠に再嫁している。ちなみに、江姫と離縁させられた佐治一成は、のちに刃傷事件の責を追って切腹になった水野忠胤(家康の従弟)の未亡人・於振(信長の娘)と再婚している。

 徳川家との婚姻関係は、信長の生前は、娘の徳姫が、家康の長男・信康に嫁いでいる。(※2)そのほかには信長の死後、信長次男・信雄の娘の小姫が秀吉の養女となり、家康の子・秀忠と婚姻している(小姫が早世したため、その後、秀吉の養女となっていた信長の姪・江姫が秀忠の元に嫁いでいる)

※2 信康と徳姫の間に生まれた子・熊姫(信長、家康の孫)が本多忠政との間に生んだ子・忠刻(家康の曾孫)が、豊臣家滅亡後の千姫(秀忠の娘、家康の孫)に嫁いでいる。

 このように三英傑の血縁が様々な形で絡み合っている系図となった。もちろんすべての人物を系図に載せることはできなかったので、割愛した部分もあるが、上記の系図を見ると、様々な人物が三英傑の家系とつながっているのが見て取れると思う。

※今回も系図が細かくなってしまい、読みにくい部分もあるので、ダウンロードできるようにしてみました。興味のあるかた、じっくり見たい方(間違いとか見つかりそうだなぁ)はどうぞ。


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