歳を取ると保守的な思考、または現状維持思考になる理由
市役所の融通の利かなさ加減に怒り心頭
マイナポイントが1人当たり最大2万ポイントもらえると聞いて、(2021年末に申請を出しておいて、発行完了の通知が届いたまま受け取りがめんどくさくて放置していた)子ども2人のマイナンバーカードを交付してもらおうと思ったのですが、市役所の窓口が開いている平日の9時~5時の間に交付対象本人(ここでいう子ども2人)の帯同が必須、という不可解ルールを目の当たりにし、むしゃくしゃが止まらない今日この頃です。
あらゆる非効率な事象を効率化したい、という欲
上記のように、ムダな作業、ムダな労力、ムダなコスト、非効率的だと感じるすべての事象に対して、「今すぐ改善するべき」「改革して効率化するべき」「プロダクティビティの向上が急務」などの思いを、誰もが感じながら過ごしていると思います。
そしてこの体感は、感覚的には若いころのほうが強く感じやすいのではないかと思っています。
上の世代が作り上げた権力構造における甘い汁を吸って肥え散らかしているムダな層をバッサリと切除さえできれば、構造はシンプルになりコストパフォーマンスも上がるので皆ハッピーになれるじゃん、と。
ですが、この思想は本当に100%の正義なのでしょうか?
ムダなもの絶対殺すマンの成れの果ては自死?
ムダなものを削って、効率的なものと置き換える。
確かに、それをするとメリットがあるように感じますね。
ですが…
何がムダで何がムダではないのか?
この問いを突き詰めて考えると、自分自身もムダの一部なのではないか?という疑問にぶち当たるんですよね。
で、この答えは「Yes」以外の結論に至らないんです。
まぁ、自分より有能な人間なんて(自国に限らず世界的に)腐るほどいますし、もっというと計算能力はPC、筋力は工業用ロボットに勝てるわけありませんし。
さらにこれらの複合的な能力も、そのうちシンギュラリティ総帥がやってきて、ゴミのような人間の能力をごぼう抜きしていくので、絶望的なのです。
ムダなものを温存し、効率化の改革へ全力で抵抗する、それこそが生存本能
タイトルに戻るのですが、誰しもが歳を食うと能力が落ちます。
どんなに有能な人材も、年月が経つといつかは若い人に負けてしまいます。
そう、まさにその時、自分がムダの一部となり、効率化の対象としてやり玉にあがったとき、果たして自ら座席を譲ることができるのでしょうか?
たぶん、ほぼすべての人たちが席にしがみつくことを選択すると思います。
ムダを許容できる社会が望ましい?
何も決まらないミーティング、仕事終わりの愚痴オンリー飲み会、上司のハンコリレー、冠婚葬祭、Fax文化、メールの枕言葉、国会で寝てる議員、校長先生の話、公共事業の中抜き、お歳暮・お中元、ビジネスマナー講師、ハイパーメディアクリエイター、年賀状、チョナンカンのトーク、すべてがムダだとはわかっているけど、排除できない理由がある。
若いうちはそれがわからない。が、歳を重ねるごとに、だんだんわかってくる。
いずれ自分もムダの側になるということを。
そのムダが存在するおかげで、今日も誰かがご飯を食べていける。
というなんとも切ない話。
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