見出し画像

ネコのロスをうめるもの

昨秋にネコと別れました。10歳でした。

もう5か月になり 涙が出てくる頻度は減っています。脳の記憶のほうは 新たな出来事にどんどん上書きされ 年齢的にも記憶が長くもたなくて 日常にまぎれてきました。ところが からだにしみついた感覚が 喪失感となり ちっとも癒えずに 不足感がどんどんふくらんでくるのをつくづく実感します。

それは 手からくる触覚の喪失感。抱っこしたり 冬の布団にもぐってきた後ずっと撫でていたりしていた時の 手からもらっていた ふわふわな触感。単なるふわふわな快感だけではなかったのです。          ネコの柔らかな毛の感触と体温のぬくもりと その下の筋肉のはりを感じながら こちらの体に オキシトシンなるものが ばんばんに分泌されていたのでしょう。それがぱったりと無くなってしまったことが 喪失感の源ではないかと。

ふれあいによって出てくるという幸せホルモン。            自分の子供を寝かしつけていた頃 そんないい物が出ていたかどうか 悲しいことに  感じる余裕がありませんでした。毎日職場と育児と家事と家庭への持ち帰り残業でほとほと疲れきっていたから。            そしていつのまにか子離れ親離れしていくうちに スキンシップということから離れた生活になっていきました。ネコを飼うまでは。        ネコとの日々は 飼い始めてすぐに幸福感が充満します。        それほどにも 即効性のあるオキシトシンのお薬なのかもしれません。

ネコのロス感にめげてしまう中で 明らかに 手が何かを求めているのです。あのぬくもり あの感触 ちょうど両手の中にすっぽりとお顔やほっぺが入り込むサイズ感。親指で鼻やほほや目の下をさすってあげる動作。  これがしたくてたまらないという欲求不満。

まずネコの絵を描いてみようとしました。

画像1

二次元で立体的な凹凸のある顔や スマートな手足や 美しいボディラインが上手に表現しきれません。                     写真を模写。しかし表現技術が足りず 1mmでも線や角度が違うと ウチの子じゃない・・・ネコじゃない・・・って出来にしかなりません。   色鉛筆で描く方法の本を買いました。テクニックを磨き 骨格や筋肉のつきかたを知るべし!いや これではホルモン出るまで時間がかかりすぎるぞ。

求めていたのは立体感。両掌にすっぽり入って ほほや目の下を撫でていたあの動作を掌が求めている!                     新聞紙を丸めて ネコサイズの塊を作り始めました。顔サイズの塊とからだの大きさを作って合体させました。そうそう いつもそこに座っていたよね。存在感という点では紙の大きさで再現できたけれど 丸めた紙では可愛さがありません。ディテールが欲しくなる。

そうだ!粘土で再経験できるじゃないですか。             粘土の塊を 顔やからだサイズに作っていく時に 撫でる動作をしながら(そうそう このくらいのところに顔があったのよね。横から見たら こういう後頭部だったのよね。耳はときどき くすぐったがったのよね。)などと 目の記憶と 手の記憶を合体させながら 思い出に前向きに浸っている時間になっていたのです。                      そのあいだは 寂しさよりも 過去の楽しい追憶がよみがえってくるのです。これは 癒されているということに間違いありません。

骨格や筋肉の基本がわかっていないので やはり絵画と同じく 1mmの大きさのずれでも (ネコじゃないな、ウチの子じゃないな、目はむずかしいな、)と 格闘が続きます。                    100均の紙粘土は ふわふわで 固まるまで 形がきまりにくいです。  油粘土は 握力を鍛えられますが 形をはやばやと決めやすいです。   立体の造形は 二次元の絵画よりも さらに難しいことがわかりました。 粘土で作った顔は あのふわふわ感の頬ラインを出しづらくて      重い頭部になってしまいます。                    ネコの頭部は意外に小ぶりで軽めで野性味あるんですよね。       そして すらりとした上品な手足と しなやかなボディラインは     かなり再現するには難易度が高いとわかりました。まだまだ練習が必要です。

画像2

しなやかさと軽やかさを出すには羊毛フェルトです。          数年前に羊毛フェルトに出会って 少しかじったのは ネコとの別れを意識したからでした。別れてしまう前に 代わりに思い出として残せるものを作っておこうと。しかし小物を作るだけで ネコフォルムは無理だとあきらめてしまっていました。

ネコのフォルムを毎回同じように再現できるまでは デッサンと粘土の造形を続けなければいけないと思っています。               ゆくゆくは布の詰め物で実物大の下地を作り その上に羊毛フェルトで ふわふわにしていく という壮大な制作を描いています。         どれほどかかるかはわからないけれど オキシトシンを出してもらうお薬代わりの活動になればと 思っているところです。

ペットロスの人がいたら その寂しさ 手が何かを触っていることで癒えることもあるかもしれないですよ、と言いたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?