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noteをはじめたきっかけ

今日は、noteをはじめたきっかけをツラツラと書き残しておこうと思う。

この瞬間の思考を備忘する意味も込めて。

何か文章を書いて発信することを模索していた。
読書や映画鑑賞が好きで趣味として書くネタは多くありそうだったので、ブログでも書いてお小遣いでも稼いでみようかと浅はかな野望はあったのだ。

この考えはかなり浅く狭い。子供用のビニールプールくらい。

アカウントを作っては、ブログの方向性に悩み、気に入ったデザインに背景を変えては満足する日々。
一向に1本目の記事すら手につかない。
そりゃそうだ。そんなに簡単に金の成る木は生えないのだ。

●noteとの出会い、それは突然やってきた。

ある日、解釈が難解なサスペンス映画を見てその考察や解説を検索しているときに、とある映画好きクリエイターさんのnote記事に遭遇!

その時初めてnoteというサービス、プラットフォームを意識したのである。電車の中でビビッと雷に打たれた。脳内ゲリラ雷雨だ。

なんじゃこりゃ?これなら書けそう!

私もこんなレビューを書いてみたい!

ブログのように限定的なコンテンツに特化せず、日々の出来事や思ったことを即座に書ける!と思った。

独りよがりな発信で悪いか!

もともと私はインスタグラムやFacebookもやっておらず、自ら社会や自身のコミュニティに発信するものなんて無いとたかを括っていた。

他人の投稿と毎日睨めっこして、大量のいいね!を貰う。

心の平穏が保たれるのなら一つの価値観としてはそれもありだ。でも疲れそうだ。

ネットの世界にいるときは休ませておくれ。

それならば、自分の承認欲求のためだけではなく、どうせならだれか1人にでも役に立つことを発信したい。

大半の人にミートするコンテンツじゃなくてもいいじゃないか。

noteは周りを気にせず感じたことを自由に書くことで、”去る者追わず来るもの拒まずな執筆活動”ができるツールかもしれない。

だとしても、おいおい他人からの評価が気になってくると思う。

いや1000%なるな。

記事を1時間も2時間も書けてかくのもしんどくなるかもしれない。

もしかしたら今後、PV数やスキの数が自分を脅迫し、キーボードを打つ手の枷となるかもしれない。

結局はこれも自己満足だ。疲れたら休めばいい。

この記録は、その時の自分の思考や調べたことの備忘録、自分のためのノートだと思えばいい。だからnoteっていうのか?

●入力があれば出力もある

全てのシステムやデバイスにINとOUTがあるように、自分の言葉や考えたこと、やってみたことをオープンに自由に発信していこう。
OUTしたものはFeedbackもあるかもしれない。

奇しくも家でじっとしていることが多くなった今、ステイホーム中の活動は、読書や動画視聴などインプットが大半だ。
ならばそろそろアウトプットをはじめてもいい時期ではないか。

世界も社会も変わったなら、自分も変わらねば。ちょっとは。

決意表明も含んでしまいましたが、思いつくままに書きたいことを書いてみました。
いつまで続くかやってみます!

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