「嫌」って感情には色んな感情が眠っている

ぴよ🐥です!
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます(^_^)

リクエスト頂いていたので、先日開催された「Twitterで活躍している方のイベント」の感想について書きます。
イベントの内容中心に書こうと思ったのですが、正直私にはあまり響かなかったので、その理由を考えた記事にしようと思います。


〈イベント内容のまとめ〉
年収何千万円も稼ぐも、そのキャリアを捨て独立するエリートサラリーマンお二人のトークイベント。

●自己内省して自分の気持ちを「言語化」することが大切
●理由は、言語化できないと人は「行動」には移せないから
●一方で、言語化しないことで行動するストレスから自分を守っているという一面もある
●また、言語化は「応用化」できるスキルでもある
●でも、言語化できない部分がある。それは「魂」の部分

とても素晴らしい方でしたが、私のココロは動かなかったのでその理由を自分なりに考えてみた。
理由は2つあって、
①「年収何千万円」って打ち出すセルフマーケティングの手法に複雑な感情を抱いた
②どこか自分とは違う世界の人って思った

まず①から。その打ち出し方を聞いて「自慢?」「そんなに稼ぐ人は偉いのか?」と思ってしまう。思うってことは、自分が同じことをしたときに、周りからそう思われるかもってビクビクしてるってことなんだけど。周りへの不信感半端ないね(笑)

ビクビクするようになったきっかけを、自分の過去から紐解いていたらあった。小学校の時のテストの返却方法だった。小学校の時、点数を読んで答案返却をするって先生がいた。褒められたくて頑張ってた私は100点が多くて、いつも返却されるのが最後だった。本当は喜んだり、堂々としていれば良いんだけど…毎日なんか悪いことしてないのに申し訳ない感情だったり、小恥ずかしい感情を抱いていた。あとは目立ちたくないとか。どこか引け目に感じてた。この名残りは今もあり、転職活動の時や年度末の評価面談で、自分の成果を自分でアピールする時も同じ感情になる。
だからこそ、それを堂々と言っている人に羨ましさを感じる羨ましいって感情が歪んで「好きじゃない」になってる

続いて②へ。①にも関係してることだけど、①を打ち出されることで、無意識かつ勝手に自分とその人を比較して、自分の無能さを感じてしまう。つまり、「世界が違う」って理由を作ることで自分が傷つかないようにしてるんだと思った。
そもそも人なんて同じ人がいない時点で、比較できる訳じゃないけど…比較される中で育ってきたから、そのクセが染みついているんだなぁ。無能な人なんていないのにね。
これって、すごくもったいない。自分が年収何千万円になりたいかは別として、自分では見たことない世界を知ってるかも知れないのに、「嫌」って感情で一括りにして知れるチャンスを潰してしまっている。


「羨ましい」「自己防衛」って感情はなかなか素直に認めることができず、「嫌」って感情と混同されるんだと思った。もっともっと「嫌」って感情と向き合おう!

だから、今度から「良いなぁ」「私もそういうとこ見習いたい」「その秘訣教えてください」「すごい」「尊敬する」って言って自分の感情認めれるようにしたい。





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