「可哀想な人」って思うことで、自分が救われることもある

ぴよ🐥です!
今日もありがとうございます( *・ω・)ノ

今日のnoteは厳しい言葉が並ぶかもしれません。
もし気分が落ち込んでる方は、やめた方がいいかも!!でも、もしかしたら読むと自分のココロを守る一つの方法を知れるかも。

さて、毎週金曜日は地獄の打ち合わせがあるんです。地獄っていうのには理由があって…会社のため・社員のためではなく、ただお局のおばさんたちが「自分たちの利益や得」を言い合うグチ会みたいなんです。
目線合わせ・目的もちゃんと共有できていない、そんな打ち合わせに参加する意味が分からず、離脱を上司に何度もお願いしたんですよ。そしたら、「逃げるのか」言われたのです。上司自身が中に入ってコントロールできないから、人に押しつけてきたのにね(笑) 人間性に笑っちゃうわぁー。

で、その打ち合わせの精神的ダメージを減らす方法を考えることに注力すると決めたんです。そこで、以前教えて頂いた『おばさんたちを「可哀想な人たち」って思うことで、自分のストレスを軽減する』を実践してみました。

「可哀想な人たち」とか「残念な人たち」とか「会社の寄●虫」とか「会社のゴ●●リ」「会社のゴ●」って見るようにしたんです。打ち合わせは、『その「可哀想な人たち」の話を聞いてあげる機会』とか『そういう人たちの生態を観察する機会』って思うようにしました。

そしたら、わりとダメージがなくなったんですよー!!あら、不思議。ずっとずっと「可哀想」「残念」って言葉を使うのが苦手だったんですよ。なんか偉くもないのに、上から目線で見ている感じがしたから。そんな感情を抱いた自分を責めたり、そんなこと思っちゃいけないって自分に禁止令を出していたんです。どんだけ良い子でいたいんでしょーね(笑)

でも、それで自分のココロが守れるなら、思ってもいいんだって今日感じました。相手をそんな風に思わないことよりも、自分のココロを守る方がよっぽど大事です( ´∀`)

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