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建国記念の日

今日は建国の日とされる。その根拠は、日本書紀である。
日本書紀には神武天皇が即位のことが記されていて、それがどうやら2月11日である。
今日は、太陰暦では大晦日にあたり、明日は春節つまり正月で、つまりは、日本も太陰暦の正月という”改まり”の時期に関連して、神武天皇の即位と太陰暦との帳合いよく日本という国が始まったことを定めているのである。日本書紀が編まれたのは、西暦720年のことである。
即位に際して、神武天皇がつぎのように言ったという。

上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎

いわゆる八紘宇である。八紘とは、中国の古典”淮南子”にみられる八本の紐のことで、つまりは世界を意味する。
天地四方八方の果てにいたるまで一つの家族にするんだと即位の際にいっているということである。
ありていにいえば、日本の統一宣言ということである。統一したということは、分裂していたという意味で、神武天皇は”東征”した。
 イザナギとイザナミはセックスの仕方を間違えて蛭児が生まれてしまった。蛭子とは恵比寿という神になっていくのであるが、夷(えびす)のことである。とりあえず、これを放っておいて、もう一度やり直して、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを生む。このスサノオが暴れアマテラスを困らせたために根の国に追放される。そのあとヤマタノオロチを退治するなど大活躍していくのであるが、これは、別の国だった出雲地方を征服する際、根の国=出雲の物語を大和物語に取り込んでいくという見方である。
これは、歴史を下って後世の概念によって読んでみたというところである。
さらに、西日本を統一した神武天皇は、夷の国、すなわち東日本を征服して天下統一したという意味である。国の造り直しは、鎌倉も、室町も、江戸も同じで、東征して征夷大将軍という称号と政権を、天皇から賜ることでなされるという歴史を繰り返してきた。明治期になって政権を天皇に返した(大政奉還)のである。
 日本建国というが、このように日本という国の範囲がどこからどこまでなのか、日本国内だけみても西から国を平定していって固め、東の国を攻めて統一するという物語からみても、なんとなく一枚岩ではないことはわかる。
同時に人種も倭人=日本人ではないという説があったり、常民と非常民という概念もある。(網野善彦)日本人の範囲もまたあるという複雑さがあるのである。
 だから、”八紘一宇”というのはいわゆるこうした民(たみ)を束ねるという圧力を表す言葉にほかならない。
 してみると、いったい今日は何を”記念”する日なのであろうか。”国体”とはもちろん、内圧によって仲間同士が形成される力もあるが、相対的なものでもある。外圧があってはじめて形作られる。別の言葉でいうと外的自己の形成は外圧によって作られる。それが今は内的自己との分裂症を呈している(参考note→go) 日本の物語が形成されたとかいうが、形成されたというより、急づくりを”させられた”といっていい。八紘一宇を持ち出して民の範囲をアジアまで急に広げだした昭和の日本の軍部はそのいい例である。(昔の軍部だけではないという話を後から書く)

 フレーザーの金枝篇でトーテムとは先祖代々のクビを積み上げてできた塔のようなものであるが、フレーザーはこれに「王殺し」の積み重ねをとらえている。「歴史の発展により最終的に本来の祭司王制度が霊的な権力と世俗権力に分割された」事象ということであるが、「王殺し」とはすなわち物語の造り直しのことである。
 南方熊楠経由で「王殺し」は柳田国男にも折口信夫にも伝わったが、官僚であった柳田は選択的にこれを取り入れに留まり、この考え方をモロに継いでいったのは、折口の方で、これが三島由紀夫にもつながっていくのである。(これについては別に触れよう)
 それはともかく、フロイトは日本の天皇制について「トーテムとタブー」の中で、「世俗の支配者が出現する一方、以前からのタブーの王には世事には疎いが宗教的には至上の権威が確保されていたのである」としている。
 武士が統治はするけれどもあくまでも天皇が祭祀をやるんだという政教のバランスは、日本だけでなく未開の民族の構造にも似たような構造である。
 そのまた一方で、オリエンタリズム(サイード)とは、東洋という概念は西洋があくまでも基準で、それ以外(の蛭子)を束ねるという意味で、西洋中心主義に抗おうとした逆の東洋から西洋をみてやろうという、逆オリエンタリズムすなわち宗教ナショナリズムという考え方が、アジア主義を生み、そのもとに使われた理念が「八紘一宇」であった。
 建国の日を語ると、日本の国体が解体された8.15に行き着く、ポツダム宣言を受け入れ、まさに「王殺し」が目の前で行われ(象徴となった)たのである。しかし、それは戦勝国だというパワーに日本の物語が解体された日でもあり、それを紡ごうと自民党あたりは必至なのである。その様子は中国から聞こえてくる。

安倍晋三政権は、日本が行った戦争の残虐行為と、犯罪を否定、曲解する。
政治家の三原じゅん子は、2015年3月16日「八紘一宇」の概念を公然と提唱した。ゲルマン民族が最高の国家だとナチスが言ったのと同じ原理であるが、まさに今の日本の政権はその考え方である。と中国では報じられている。ポツダム宣言を読んでいない安倍晋三首相と当時の政権を中国が警戒している記事が次である。

Le gouvernement de Shinzo Abe suit manifestement la tendance du révisionnisme et du négationnisme, c'est-à-dire qu'il nie ou passe sous silence les atrocités de la guerre déclenchée par le Japon et les crimes commis par les militaires japonais à cette époque. La politicienne japonaise Junko Mihara est allée jusqu'à prôner ouvertement, le 16 mars dernier, le concept Hakkō ichiu (« tout le monde sous un même toit »), slogan utilisé par l'Empire du Japon sous la Seconde Guerre mondiale pour glorifier la « guerre de la Grande Asie orientale ». Ces termes connotent encore la guerre d'agression que le Japon a menée et son ambition passée de dominer le monde. Ils sont d'ailleurs interdits dans les documents officiels. Difficile de nos jours d'imaginer un parlementaire allemand osant prétendre que les peuples germaniques forment effectivement la « meilleure nation du monde ». Pourtant, c'est ce genre de phénomène qui a lieu au Japon. Le premier ministre japonais Abe a reconnu publiquement qu'il n'avait pas lu la Déclaration de Potsdam, le document qui précise que le Japon est à l'origine de la guerre et qui exhorte ce dernier à se rendre officiellement. Shinzo Abe a déclaré le 14 août dernier, veille de la date anniversaire de la reddition du Japon : « Nous ne devons pas laisser nos enfants, petits-enfants et les générations suivantes, qui n'ont rien à voir avec la guerre, être prédestinés à s'excuser. » Ses propos, qui visent à rejeter la responsabilité du Japon face à la guerre, sont révélateurs des vraies intentions du gouvernement japonais. Aussi, en dépit de l'opposition publique, le gouvernement d'Abe a fait adopter un projet de loi sur la sécurité qui octroie au pays le droit d'envoyer des troupes à l'étranger. Contraire aux dispositions de la Constitution pacifiste du Japon, l'entrée en vigueur de ce texte constitue un premier pas sur la voie du militarisme. Cela prouve que le spectre du Hakkō ichiu ne hante plus seulement le milieu idéologique, mais guide également l'exercice du pouvoir. Victime dans le passé de la barbarie des militaristes japonais, naturellement, la Chine se tient aujourd'hui sur ses gardes.

まぁ、そのとおりなのである。こう批判されても日本のナショナリズムは、分裂症という精神病に冒されているので(岸田秀)、つまりは病気なので、理性からみると狂っているように見えるのは、実は日本人からみても一緒ではないだろうか。多くの国民は、建国記念日だろうが建国記念の日(GHQがそう呼称を変えた)だろうが、休みだから休むだけだ。(と思っているが、どうやら違う人もいるようである。私が世間とずれているようだ)

しかし、よくよく考えてみれば、日本が戦争に勝ってさえいれば、発症しなかった病でもあるというのが、また狂気を増すのである。ではいつこの病にかかったのか、岸田秀はペリーショックだと言った。
同じようなことを石原莞爾はGHQ(というか鬼米)に対して言っている。

「ときに東京裁判は、日清日露戦争まで遡って戦犯を処罰すべきだといっているのかね・・・」
(鬼米の)法務官がそれを認めると、
「じゃあペリーが戦犯だ、墓場から引きずり出して連れてこい」
法務官が首を傾げていると、
「貴国のペリーが黒船に乗ってきて、門戸を開けろと迫り、列国との交わりを強要した。[...]それから日本は貴国を大先生として泥棒の侵略戦争を習い、覚えた。いわば日本はアメリカ(鬼米のこと)の弟子だ。教わったことを日本がやったら、今度は日本が戦犯だという。だからペリーを呼んでこい」とわかりやすく説明したのである。

三原じゅん子が八紘一宇といったのは、ペリーのときにかかった病が治っていないことを指すのである。
伊藤博文らが韓国にとってはペリーになるように、あるいは、出雲の国にとってはスサノオがペリーになるように、日本にとってGHQが物語を書き換えたのだ。今日は物語の書き換えられた前を考えてみる日ということなのであろうか。。。(いまいち意味がわからないのである)

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<来年の宿題>
・網野善彦「公界・傀儡・縁」
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