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グミの日

語呂合わせで、UHA味覚糖株式会社が9月3日に制定した記念日である。
UHA味覚糖は三和銀行のつくったみどり会の会員企業でもある。
関西が本社の企業だ。UHA味覚糖のココロという商品が中国の人に人気があり、各店舗で品薄になったことがある。いわゆる爆買のシーズンである。特にぶどう味が人気が高かったという。

 ドイツで生まれたガムと飴の中間を狙った商品で、Gumm→Gummy→グミとなった。だから茱萸(ぐみ)というのは、同音異義語なのである。

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 今日は折口信夫(=釈迢空)が亡くなった日である。
折口のおかげで、いままで不可解だった日本の行事のことが氷解したりすることもあった。(大抵の場合はさらに難解になるのだが・・・)
このnoteでは、七夕にて少しく引用させてもらった。
 折口が唱える重要な”マレビト”とは、どんなことだろう。
その前に”ほか”という概念を折口はいう。”ほか”からやってくる人のことをマレビトというのだ。”ほか”とは文字で表現すると「外」とか「他」になる。ホカカビトというのが古代中世〜近世にいたという。ホカカビトとは文字にすると「乞食人」のことである。日本の芸能の原型をつくった巡遊人をさしている。
 外とは常人がいる場所の外側の世界を表す。その外からやってきて、やがて外に帰っていく人のことをマレビトというのだ。竹取物語のかぐや姫もマレビトだ。異人であり、客人という存在である。常人になんらかの影響なり、エネルギーなり富なりを与えて去っていく。
 日本人は客をもてなすときに、主客を逆転させる。客を主人にして、自分の座っていた位置をわざわざ譲るようなことをするのである。これはそのマレビト信仰の名残であろう。
 日本では「外」の世界として「常世」という概念がある。

わぎもこは常世の国にすみけらし、昔見しより変若ましにけり

と万葉集にある。浦島太郎の竜宮城的な世界であり、これが文化的な深層心理にあるという。その概念が仏教の伝来とともに、浄土と混合されてくる。つまりは死者の世界である。
 ”アトランティスから来た男”のアトランティスは”ほか”であり、崑崙山や、エデンの園や、死者の世界も外界であるし、浄土もマレビトの物語なのである。
 「神」の概念というのもここからくるのである。正月の行事は”年神様”を思い浮かべないと一切わからない。なんで雷のような形の紙垂(シデ)を榊(サカキ)とともに飾るのか。どうして門松を玄関前に置くのか。。。。。

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 フォークロアを鮮やかに説明した概念を柳田国男に師事した折口信夫は語る。自らも「死者の書」や「身毒丸」といった小説も残し、また歌人として多数の歌も残した。
来年からこの日は折口文学を齧る日としよう。
 折口信夫の信夫は”しのぶ”と読む。彼は異母兄弟に親夫、和夫がいた。出生の秘密に触れた彼は”お”で終わる名前を封印し”しのぶ”と名乗ったというのだが、本当のところは藪の中らしい。彼の文学的才能はこうした出生の不確かさにも求められるが、なにより彼は女嫌いな同性愛者であることも終生悩みの種であった。青年になるまでは自己を呪われた者とみなし滅却するために自殺願望との戦いで、そして晩年は麻薬を打ちながら執筆を続けたという。師の柳田国男は南方熊楠とはすぐに関係が終わってしまうが、折口は生涯に渡って語り合う関係であった。このことは近代的自我を確立している柳田と、自分をすでに殺したゆえ、何者にでもなれる折口との違いであると思う。
粘菌研究者の南方の優れたものの見方は、折口信夫の視点にも影響は大きいに違いない。

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 さて、”ドラえもん”は2112年の9月3日が誕生日である。
あと90年ほど生きればドラえもんと会えるので、楽しみである。
はたして、ドラえもんはマレビトなのだろうか・・・
稀人っぽく振る舞ってはいるが、結局は、自らの”現世”利益のために来ているし、常世ではなく未来からなので、時間的には外だが空間的には内であるし、ロボットではあるが、所詮は”身内”なのだ。
グミがガムでないようにドラえもんもマレビトではない。

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<来年の宿題>
・「死者の書」について
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