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お出汁の日

燻乾製法というのは、燻って乾かすということである。実に4週間以上もかけて、カツオ節をつくりあげる。一度に火を掛けすぎると水分が飛ばずに焦げてしまう。燻って→休ませるを繰り返すため期間がかかる。
この製法を編み出したのは、角屋甚太郎でその命日を偲んで、株式会社太鼓亭が10月28日に記念日を制定した。

鰹出汁にはだいぶお世話になっている。最近ではすっかりズルをして、鰹節を使わず、粉末を使用してしまうが、本来の味をやはり味わうべきであろう。料理に手間を惜しんではいけない。

今日は、エスコフィエの誕生日でもある。
彼の書いた料理指南書である「料理の手引」はまさにフランス料理におけるバイブル的な存在である。
次の放送局Arteの記事を使って簡単に略歴を追ってみてみよう。

エスコフィエの人生はそれ自体が小説のようだ。彼のまとめた料理指南書はいまでも美食レストランの中に存在している。Arteという放送局が、そんな近代美食の父のドキュメンタリーを今年の6月6日に放送したようだ。
アメリカンドリームに対してエスコフィエの人生をフランスドリームとしている。その人生はどんなものだろうか。

C’est un monument de la gastronomie qu’arte s’apprête à nous faire visiter. La vie d’Auguste Escoffier est un roman à elle toute seule et ce qu’il a mis en place est toujours présent dans les cuisines des restaurants gastronomiques. Le 6 juin, rencontre avec le père de la gastronomie moderne…

Dans le cadre d'une programmation spéciale « cuisine » Arte proposera le 6 juin un documentaire inédit signé Olivier Julien qui entrelace archives, interviews et scènes de fiction sur celui que l’on a surnommé « le roi des cuisiniers et le cuisinier des rois ». Si longtemps l’American Dream a montré les parcours étonnants de géants partis de rien, la vie d’Auguste Escoffier est certainement un rêve français.

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プロヴァンス生まれのエスコフィエは、気づいたらニースの叔父の店で働いていた。19歳でパリに出て、プティムーラン・ルージュで働く。並外れた頭角をメキメキと表し、1870年にはマクマホン元帥のお抱えシェフになる。

Né en Provence, à Villeneuve-Loubet, en 1846, Escoffier va se retrouver très vite à travailler pour un oncle restaurateur niçois. À 19 ans, il choisit de monter à Paris où il sera commis « Au Petit Moulin Rouge ». Par la suite, en 1870, déjà ultra-talentueux, il devient chef cuisinier du Maréchal Mac-Mahon.

南フランスにもどりカンヌに”Le Faisan Doré”を出す。そのレストランはカンヌとパリを行き交うセレブが出入りするレストランである。彼はそこでセザール・リッツに出会う。リッツについてロンドンで、”サボイ”、”グランホテル”、”カールトン”で開く。そしてパリではリッツとともにホテル・リッツを作りあげたのである。とてもシンプルだ。

Il redescend dans le Sud, par la suite, pour créer à Cannes « Le Faisan Doré », le restaurant qui va lui ouvrir la porte des célébrités entre Cannes et Paris. Il va alors rencontrer César Ritz qu’il va suivre à Londres pour créer le « Savoy », le « Grand Hôtel » et le « Carlton » de Londres. À Paris, ils créent ensemble le « Ritz »… tout simplement.

新らしいレストランの考え方を最初からエスコフィエは考えていて、それをさまざまなホテルで実現していったのである。キッチンの中でそれぞれの役目(パルティ、キュイジニエ、パティシエなど)を総称してbrigades(旅団)という。それを組織化したのはエスコフィエである。それぞれを専門化し、合理化したのである。いまでは、レストランのキッチンは分業でされているのがほとんどであるが、それを最初に考え、はじめたのがエスコフィエなのだ。それぞれの仕事を皿の上で芸術作品とするのがまたエスコフィエなのである。さまざまな料理本を残し、料理からデザートに至るまで多くのレシピを編み出した。夏にピーチメルバを楽しんでいるのなら、エスコフィエに感謝しなければならない。

C’est le début d’une prolifique carrière où très jeune il va surtout réfléchir à une nouvelle manière de penser le restaurant. C’est lui qui est à l’origine des brigades où chaque personne en cuisine, pour éviter de courir partout est attelée à une tâche bien particulière… Il va « rationaliser » le métier ! C’est également lui qui va présenter les assiettes « comme des oeuvres d’art ». Auteurs de plusieurs livres de cuisine, il a laissé une mémoire écrite de son oeuvre. Pour le grand public, si l'été on se laisse aller à une coupe de glace « Pêche Melba », c'est aussi Auguste Escoffier qu'il faut remercier.
●prolifique ... 多産な

彼の死後85年経ったいま、多くの料理人たちは、エスコフィエの足跡をたどり、敬意を払いながらレシピの改良につとめている。[...]

Aujourd’hui, 85 ans après sa mort, ils sont nombreux dans le métier à suivre ses pas, à retravailler ses recettes avec respect. Intervenant dans le documentaire, Thierry Marx, Yves Camdeborde, Michel Roth font toujours et encore régulièrement référence à Auguste Escoffier telle une figure tutélaire du gardien de la gastronomie française.

別の記事でも、彼は人間性もかなり高かったといわれる。コロナ禍においてもしレストランに彼がいたなら、きっとこの危機を革新的な力で、乗り越えていただろうと言われる。

Il s'est adapté à la guerre, il a inventé les brigades modernes en cuisine, il a réinventé et allégé les recettes, il a lutté contre le paupérisme, et a été un précurseur de la solidarité moderne. Auguste Escoffier aurait sans nul doute traversé la crise actuelle avec la grande humanité qu'on lui connaît et avec sa force innovatrice.

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シンプルであることが美しさを排除することではない

エスコフィエの言葉である。
「料理の手引き」にも載っている料理をすこし紹介しよう

◯レチュ・骨髄添え
 肉料理の付け合せである料理だが、煮込んだレタスと牛の骨髄だけで完結する料理である。レチュとは、サラダ菜の一種だが、日本でサラダ菜というと、スーパーでみかけるそれだが、やや若摘みしている。それをブレゼ(少量の水で煮ること braiser)やや低温で加熱した骨髄を冠状に飾る。軽くバターを加えてとろみをつけたジュ(jus)をかけて供する。

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◯アシ・パルマンティエ
 家庭ではミートソースとマッシュポテトを重ねて作ってしまいそうだが、そこはエスコフィエ、肉とジャガイモを混ぜ合わせ、ファルスを抜いたジャガイモに詰めて焼き上げる。アシはいわゆる挽き肉ではなく、サルピコン(角切りの材料を混ぜ合わせたスペイン料理)の一種で、かなり荒目というかほとんど塊である。料理の鉄人の脇坂シェフは、このファルスをフォワグラと重ねテリーヌに仕立てた。

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◯白ワインソース
 魚料理によく使う白ワインソースだが、エスコフィエの作り方を載せておこう。
 良質の魚のフュメ(出汁)100mlを半分まで煮詰める。卵黄5個を加えて、バター500gを加えてオランデーズソースの要領でよく乳化させる。
 しかし、この作り方だと、日本人は胃もたれしてしまう。
なので、バターを加減し、代わりに白ワインで伸ばすなどして、お好みの味に調整する人もいる。

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ヌーベルキュイジーヌでは、バターを水に替えたといわれるが、
フランス料理では、ソースに並々ならぬ力を使う。その折々の食材を使い、技法も食材とのインスピレーションで決めることもあるらしい。
エスコフィエの料理指南書がインスピレーションのもとになっている。

出汁はすべての”料理のもと”。最後に紹介したソースでも使っている。
旨味をどのように食材から引き出し、使っていくのか。”料理のもと”の製法が編み出されたのは尊い日だが、料理人はその根底さえも見直し続けている。

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<来年の宿題>
・エスコフィエの生涯・逸話
・フランス料理の歴史
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