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ダーウィンの日

1809年2月12日に誕生したチャールズ・ダーウィンを祝う記念日である。 ダーウィンの科学への貢献を呼び物とし、科学全般を促進させるための日であるという。

Cette journée a pour but de rendre hommage à la vie et aux découvertes de Charles Darwin, le célèbre naturaliste anglais qui, le premier, a décrit avec une rigueur scientifique l’évolution biologique des espèces par le moyen de la sélection naturelle, et sert également à promouvoir la science dans la société.

ダーウィンは進化論を唱えたが、ダーウィンが何も最初ではない。そのように捉える人は結構いた。(参考note: →go)   
同時期にスペンサーが進化論を唱えていた。スペンサーのそれは宇宙や社会などすべてのものが進化していくというものだった。むしろスペンサーの進化論のほうが19世紀はじめには流布したのである。では、ダーウィンはといえば、自然選択理論には生物を進化させる力もあるといったのだ。”もある”の”も”は、自然選択が”いい方向”とはかぎらないから”も”という。
だから、進化という言葉をダーウィンに寄せて集めてしまうとおかしなことになる。参考note→goでは、社会学とダーウィンはほぼ無関係だという記述があるが、どちらかといえばスペンサー寄りなのではないかと思う。

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  リバタリアンたちは、徴税に対し強く非難する。徴税を略奪と捉えるからである。しかしながら、たしかに、徴税をなくしてしまったら、軍事費はどうするんだっていう問題にリバタリアンたちは解決策を出してくれない。もし軍事力がなかったら、侵略されて、どのみち侵略国の徴税権に従うしかないだろう。リバタリアンたちの中にはTaxHavenに住居がある人もいて、そういう人達は、非難するものの結局税金から避難していて払ってもいないのである。それは現実解なのであって、そもそも国がなければ侵略もクソもねぇだろう、とリバタリアンは考えるのである。TaxHavenに住む権利がなければ次には、”自分たちの支払う税金が最も高い国を選択する”。ということになる。
  さて、ダーウィンの唱えた自然選択は、集団ではなく、個々の主体にどういう影響を与えるかによって、形態や行動が選り好みされるというものである。それは、アダム・スミスの”神の見えざる手”といった洞察に等しい。
個人は自らの利潤の追求のために行動したが、結果的に社会が改善されることもあるからだ。
  次に、コロナ禍の中、マスク着用を拒否る人は当然非難される。しかし見方によっては、マスク着用の効用がまだ科学的な根拠を持たない、ゆえにつけないというのもとりうる行動の一つである。ここで仮に政府がマスク着用について義務づけたとしよう。するとリバタリアンは騒ぎ立てるだろう。個人の選択を奪う権利なんて政府にないと! でも、それは自殺する権利を奪うな、と政府に文句を言っているのに近い考えである。Jスチュアート・ミルが、「自由論」で述べている通り、それは「危害管理」なのである。マスクを着用しない人は、他人に危害を加える可能性があるので、個人の自由を制限しなければならないということだ。
 アダム・スミスの国富論では、規制のない社会が常に最善の結果を生むわけではないことを知っていた。
ダーウィンは、植物や動物の種の個体間の競争に目を向けた。自然選択による種の選り好みは、種全体の利益にも及ぶ場合、これはアダム・スミスの神の見えざる手と同じ優位性の話として似通っている。
  しかし、個体の突然変異が、種にとってよいとは限らない。たとえば鹿がメス獲得のために角が巨大化したとする、この形質の変化によって走るのが遅くなり狼に捕食されやすくなったとすれば、種にとって不利益である。
行動経済学理論は「国富論」のように個人が合理的に判断するとは限らないとみている。種の利益は個人の利益になって返ってくる。種の利益を優先するように政府がいわば個人の規制をしなくてはならない。鹿の例でいえば、角を大きくすればよいというものではないと角の大きさを規制するわけである。この角を鹿の政府が削ることにしよう。この場合一番大きな角を持つものからより大きく角を削ることになる。ところが、リバタリアンたちはこれを搾取だと叫ぶのである。能力による成功において、リバタリアン達は自分たちの能力がもっとも評価される仕事を選ぶであろう。それがかつては、金融市場であった、ハーバードやプリンストンの優秀な頭脳が金融の仕事に従事することになった。もしかしたら、医療の現場で画期的な功績を残し世界の健康水準があがったかもしれないかもしれないのにだ。しかしその頭脳がサブプライム住宅ローンという複雑な金融商品を作り出し、国が破産するような悲劇を生んだ。
最近では、これで身にしみたのか瞑想するリバタリアンも増えている。瞑想は全体最適の効果にまで思いを馳せることにつながり、結局彼らは質素な生活を自らに課している。
 瞑想は仏教の専売特許ではない。富裕層やリバタリアンがみせる攻撃はあたかも、サドカイ派とパリサイ人というキリストが非難した生き方の見本のようにみえる。
 ミツバチは、毒針で攻撃者を指すと、自らも死んでしまう。一見不合理な行動のように見える。しかし、刺すのは不妊のメスだけで、刺すとハチの腹部も破裂するが、同時に特殊な匂いを放つ物質が放出され、巣に警戒信号が送られる、こうしたハチの犠牲的な行動により、巣の安全は保証されるのである。
 頭脳のよい上位の人々が、自由や富を得るのでなく、人々に利益をもたらすように犠牲的に働くことは、つまり角の大きさに応じて課税される累進課税は、人類の福祉のように働くようにすると最適なように思えてくる。(パレートの法則)
 結局は、リバタリアンもアダム・スミスも理論上の話であり、ダーウィンのように、データを仔細に集め、学び続けることくらいしか、こういった社会の最適化をどのようにしたらよいのかの回答は今のところない。そしてそれでも人間の矛盾(合理的な判断をしない)について、理論めいたことを言えても、歴史の繰り返しの中に埋没していくのである。「種の起源」がクムラン教団の書いた”死海文書”以上の役割を果たすのかどうかは不明であるが、少なくとも、自然の摂理と知恵にはかなわないというダーウィンの教えを人間の頭脳に刻むことが、おそらく最適解であるだろうと思うのである。

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<来年の宿題>
・種の起源
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