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油の日

859年、宇佐八幡宮が京都に移転した。清和天皇が京都の守護にこの社が必要だと考えたからだ。移転した場所が嵯峨天皇の離宮跡だったので離宮八幡宮と呼ばれる。この離宮八幡宮は油の圧搾技術をもとに荏胡麻油を製造し、専売したので、移転した日の8月23日をもとに油の日とされたという。

うん、そうか、とすぐに納得ができない。神社の移転と油の関係がわからないからだ。そうだ。中国語で調べてみると、

平安时代贞观年间,神官发明榨油器,开始制造“荏胡麻油”,所以被视为日本制油发祥地。室町时代,发展成“大山崎油座”,在油座的制度下,独占全国的油专卖权。

なんでいちいち、移転の話をかぶせるのかわからないが、とにかく離宮八幡宮と呼ばれた神社の神官が油を製造した。それが日本の脂製造の最初だから油の日で、室町時代に座という商業団体なり制度ができて、その下で全国に油を販売するに至った。実に明解だ。移転の話は不要に思う。(じゃあ写して書くなよ・・・)

油を売るという慣用句がある。不要なことに時間を使うことを表す言葉だが、この場合の油は、鬢付け油のことであったり、また行灯に使う油だったりする。

鬢付けは五十も百も名が高し

 五十とは、両国橋の五十嵐の店、百とは浅草駒形町にあった中島屋百助の店だったりする。当時の油店は役者が内職に開くことも多く、化粧品と一緒に売られていた。つまり役者のリップサービスの場であったので、長々と売る。説明では、油の粘性のため客の器に店の器から移すまで時間がかかったので、トークでつなぐ必要があったというが、粘性が高いのは行灯の油より鬢付け油なので素人目には鬢付け油ではないのかな・・・と思う。

 化粧品の材料に界面活性剤がつかわれていて、これが実は肌にいいとか悪いとか云われる。いわゆる乳化剤であるので、マヨネーズにおける卵の役割と思えばよい。つまりは油を水で洗い流すのに必要なものである。洗剤などにも界面活性剤は使われる。石油由来の界面活性剤もあり、いかにも肌に悪そうだということからいろんなことを云われるのであろう。天然由来の界面活性剤は一般に高価である。原理はそんなに進化がないのに、毎年画期的な化粧品が出るのはどうした理由からだろう。ちょっとガマの油を想起した。

 今日は博物学者キュビエの誕生日でもある。ラマルクの進化説を最後まで認めなかったパリ大学の学長である。最近になって進化論が否定されているときく。ダーウィンの進化論では、人類の進化について説明できないという。たとえば、キリンの首が長くなるのには、ユーカリの葉を食べる生活を長い年月繰り返すうちに長くなった(用不用説)とラマルクがいう。ダーウィンはこれを補足し、長い首のキリン ができ(変異の存在)、短いキリンと混在する時期があったが、生存競争の中で、首の長いキリンの遺伝子を持つものだけが残った(自然淘汰・生存競争、自然選択)とする。突然変異はだいたいが負の形質であることが多いことや、キリンの首が長くなる(長い首のキリンのみになる)まで2000万年かかっているのに対し、人間の脳が2倍になるのに、わずか600万年しか経っていないのはダーウィンの理論では説明できないのではないか・・・それに猿人の化石が段階的に見つかっていないこと(ミッシング・リンク)などがダーウィン説への反論の主旨である。

ここで、過去記事を引用しよう。11年も前の2009年4月8日の記事である。

ラマルクに対しジョルジュ・キュヴィエは
執拗な攻撃をしたという
講義中に邪魔に入るという暴挙までした

ラマルクは斉一説
キュビエは天変地異説という大きな論の違いがあった
斉一説とはヒュームが哲学的に用意した理論である

今観察できる状態、摂理は古生代にもあると
ジェームズ・ハットンが地質学、古生物学に応用した
ラマルクは生物は変化(進化)すると唱えたのに対し
キュビエは、生物は不変である 天変地異によって
再創造が行われたという 

ここに大きな違いがあったのだろう

キュビエは、実証的な科学の方法を用いた
キュビエはまったく間違えていたわけではなく
実証主義に基づきキュビエの観察したスパンの範囲内ではたしかに
変化がなかっただけのことである

かれは いわゆるホモ・デルブィイ(洪水の人)について
オオサンショウウオの化石だと同定した。
(澁澤龍彦は、人間のように思えてならないと感想を書いた)

それにラマルクの進化論ではミッシングリンクを説明できない

けれどダーウィン以前への戻りは科学ではない
とスティーブン・グールドはいう
さらにはラマルクは、獲得形質が遺伝するという説を唱えたが、
グールドは、遺伝情報の中に獲得形質が入り込む細胞はない
といい、ラマルクの仕事とダーウィンの仕事の差は、
ダーウィンのとった方法の地道さであるとした
ダーウィンこそが緻密な観察により、進化論を理論にできたという

学生時代に よい論文とは、
データの緻密性、
論旨の論理性、
話題の新規性
の3つがバランスよく整っているとして
マルクスの「資本論」がその代表であると指導を受けた

ラマルクは新規性はあったものの緻密さが足りなかったということか
それはしかし、キュビエによってかき消されたものかもしれぬ
二人が敵対せず力を合わせれば

ダーウィンを待たずに「進化論」は完成をみたかもしれぬ
さて、進化論においては、生物が目的をもって神によりつくられた
ということではないこともわかった

さらに、獲得形質が遺伝しないことで、人々の努力も遺伝はせず
なんのために生きるかという目的は完全に失われた
だとするとわれわれは遺伝子の囚人なのである

しかし、生物的に遺伝はしないが、人間が残せることができ
後世に伝えるべきもの それは 文化である

 キュビエのラマルクへの執拗さは、ラマルクが死んでも止まなかった。
キュビエはラマルクの死に際して、追悼文をしたため、そこでラマルクの説を曲解して記した。この追悼文はアカデミックからも酷評であった。英語でも翻訳されている、キュビエは、ラマルクが動物が自分の意志や欲望で変容するといった説を説いたと、誤った考えのもとに攻撃をしているが、見当違いである。

À la mort de Lamarck, Cuvier composa un « éloge funèbre » où il ne se priva pas de tourner en ridicule et de déformer les idées transformistes de Lamarck. Cet éloge, qualifié « d'éreintement académique » ne fut lu à l'Académie des sciences que le novembre 1832. Il fut également traduit en anglais et il constitue fort probablement l'origine de l'idée erronée selon laquelle Lamarck attribuait la transformation des animaux à leur « volonté » et à leur « désir ».

いささか学長まで勤めたキュビエにしては品位のない行為だと言わざるを得ない。キュビエは非常に実直に実証主義的方法を積み重ねて理論を構成し比較解剖学を打ち立てた。それに対してラマルクは、空想を膨らませて理論構築しており、そもそもディメンジョンというか単位が違うのである。数千年単位ならキュビエが言う通り、百万年のスパンについてラマルクは説いた。
私の過去記事には無邪気にも(無知がなせる技だが)ラマルクとキュビエが共に協力していれば、、、などと書いているが、今日では天変地異説でミッシング・リンクについて、キュビエが息を吹き返しているように見える。
進化論がどのように評価されていくのか今後共に注目していこうとおもう。

 一方で、進化論が浸透しないのは聖書の記述と合わないからだ、と、これもきな臭い頑迷さがある。聖書の解釈を変えればいいと、これも簡単に発言したりすると大変だ。もっとも、聖書を信じる人たちもダーウィンを読み込むときには、聖書解釈は一旦脇において冷静に判断している。だから、この問題はとりあえず脇へおいておこう。
 私にとっては別なバイアスがかかる。本来、説の正しさと人間性は関係がない。キュビエの頑迷さが逆にラマルクの肩を持つきっかけになるとしたら、それは要らぬ先入観が働くということである。研究者の人格がどうでも、古生物にとって、比較解剖学は金字塔であることに変わりがないのだ。物事を正しく判断するために読書などで研鑽を積んでいくしかない。

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 植物由来の油が必ずしも安心じゃないっていう。でも、そんな議論にズレがあるときもある。いろんな混ぜものが危険ってだけだった。トランス脂肪酸はマーガリンを作るときに固める役目をもつ。そのトランス脂肪酸の問題であって、植物性かどうかとは別の問題だからだ。
 そもそもサラダ油ってなんだといわれると日清オイリオが名付けた商品名で、冷やしても固まらないくらい精製度が高い油を指すらしい。材料は菜種油だったり、綿実油だったり米ぬかだったりする。炒めもの用のキャノーラ油は菜種油だ。
 油も酒も純度によって違うんだ、というのも葡萄や米を醸造すると醸造酒ができる蒸留するとブランディーや米焼酎になる。さらに蒸留すると甲種の焼酎になる。それと似てると思った。つまり菜種を圧搾しただけなら油炒め用さらに精製したものがサラダ油というわけだ。
 ところが、このサラダ油を敵視する医学者もいたりする。サラダ油には大量のリノール酸が含まれているという、このリノール酸は一時期、体内で作り出すことができない必須な脂肪酸だとして、声高にこれが入っている商品が健康によいと喧伝された経緯もある、最近の研究では、酸化したリノール酸の摂取が花粉症やアルツハイマーの原因になるという。リノール酸は通常の食事からも摂取できるのでそれで充分である。充分どころでなく、さらにサラダ油を使ってはいけない理由は加熱するとヒドロキシノネナールという神経毒になるというのだ。進化論がただしいかどうかよりもある意味、切実な問題になる。

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逆にキャノーラ油にはリノール酸がサラダ油に比べ少ないという。ところが、キャノーラ油の原料の菜種が遺伝子組み換え作物で、これが人体に悪影響だという警告があり、これもいけない・・・実際どうなってんだろう。詳しい人にきいてみようと思う。

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<来年の宿題>
・リノール酸の功罪
・キュビエの業績
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江戸時代初め、摂津の国の職人が新しい搾油道具を考案、より脂分の多い菜種を絞り、大量の油をとることが可能になったという。
この方法は瞬く間に全国へと伝わり、菜種油の生産は飛躍的に伸び、食生活を変えた。




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