Facebook開設日

2004年の2月4日にFacebookがマーク・ザッカーバーグ氏らのハーバード大在学中に学生同士の交流を目的として開設された。

 ソーシャルメディアが世の中を席巻して社会現象になっていることは周知の事実であろう。けれども、IT業界では当たり前のようにそれらのSNSを使いこなしていると思いきや、案外そうでもない面もある。たしかに、仕組みについては知ってはいるものの、使い方、使われ方について詳しくない人もいるというのが実情なのである。それはいつかこのnoteでも書いたが理学屋と工学屋の相違なのであろう。でもしかし、ITは所詮工学屋なので、そういう人はなにかを履き違えているともいえる。
 もっと視界を広くてみると、業界問わず、これからは未来感覚の格差といったことが重要なファクターになってくることは間違えない。なぜなら、いままでは、なにかの手段やツールであったITやそれを基盤とするメディアはいまや目的に化けているのである。かつては必要だった社会的責任のありようも大きく様変わりしている。そのような世の中で生き残るためには好むと好まざるとにかかわらず、新しい価値観へのアンテナを張っていないといけないということである。以前は、自分の文章を広く読んでもらうためには出版社を通したり、自分の歌を聴いてもらうには音楽業界の門を叩かないと手段がなかった。いまはその手段を万人が持っているのである。従前それを担う業界はいわばマネージドサービスだった。それを通さないでいいという代わりに、すべてが自己責任の世界ということである。この傾向の逆戻りはなさそうである。
 ちょっと論旨が飛んでいるので、FacebookのInstagramを買収について書いた記事をみながら、そのあたりを探っていこう。
 FacebookがInstagramを買収した最初の理由は、プラットフォームの使い方から起きた。実際Instagramは3000万人近くのスマホユーザーを獲得することに成功したが、大規模なスマホユーザーの到来をマーク・ザッカーバーグは予想していたのである。Instagramの助けを借りてFacebookはこの分野でFacebookの役割自体を再配置(repositionner)することができたのである。

La première raison du rachat d’Instagram par Facebook a été motivé par la base d’utilisateur de la plateforme. En effet, Instagram avait réussi à se doter de près de 30 millions d’utilisateurs mobiles. Mark Zuckerberg, l’avait anticipé : l’arrivée massive du mobile en tant que support premier. Aujourd’hui, le support de prédilection pour surfer sur Internet est bien le téléphone portable. A l’aide d’Instagram, Facebook a pu se repositionner sur ce secteur et affirmer sa place.

Facbook投稿手段の変化と投稿に使うツールの変化の両方が見られる。記事では、PCからスマホユーザーへの変化というが、内容もそれにつれて、文章だけの投稿から写真へと投稿のコンテンツに変容していったのである。そして写真を”デコる”ようになるのである。そして今コンテンツは写真(静止画)がから動画に移っている。
いまやFacebookは競合他社(concurrents) Twitter Pinterest Ticktok Snapchatと熾烈な争いをしているのであるが、当時では、Googleがライバルであった。FacebookがInstagramを買収しなければGoogleが買っていたかもしれない。さらにMySpaceのように忘れ去られるようなメディアに陥る危険もあった。Facebookはその危機を脱するために、Instagramを買収し、ようやっとソーシャルネットワークを事実上独占することができたのである。

Facebook fait aujourd’hui encore face à de plus en plus concurrents (Twitter, Pinterest, Tiktok, Snapchat…).
A l’époque, le concurrent le plus menaçant de Facebook était Google. Le rachat d’Instagram aurait pu être l’œuvre du très célèbre moteur de recherche si Facebook n’avait pas prit les devants.
Outre la menace concurrentielle, le réseau aurait très bien pu finir aux oubliettes, tout comme MySpace. En rachetant une entreprise concurrente, similaire, Facebook assurait ses arrières.
Le rachat d’Instagram permet à Facebook de posséder aujourd’hui un quasi monopole sur les réseaux sociaux.

2つのことをこの記事から学ぶ。1つは、ザッカーバーグの未来感覚が優れていたということ。さらにはコンテンツ内容の変容である。すなわちデコる機能が優れていたのである。そのコンテンツは真実をもっともらしく伝えるというよりも、どのようにデコったのかを自慢する投稿だ。さりげなさもなく惜しげなく堂々とデコるのだ。
コンテンツの変容は”写真”だけではない、文章でも似たようなことが起きている。フェイクニュースを個人がまとめるということである。そこに律儀さなんてない。
律儀さがないということで、かつてなら、Instagramと同様の機能をFacebookが開発しようと努めただろうが、いまやInstagramを買ってしまえばOKという時代に変わっている。スピードこそ重視なのだ。同様に真実をたしかめる時間なんてのもいまの時代にはない。もはや主張する側は、真実を書いておらず、読む側もそんなものを求めてもいないのである。簡単に言えば、マネージドサービスを外れて、誰でもなんでも言える時代になったということである。
ただアクセス数さえあれば、なんでもいいということである。Facebookはこうした投稿を排除しようと最初は躍起になり、外部連携サービスの協力を得て、ファクトチェックをして警告マークをいちいち付していたが、フェイクのニュースが止まらず溢れかえり、結局あきらめて警告マークを付さなくなってしまった。ニュースに関してもその感想を好き勝手投稿する。結局答えは一つでなく、いろんな見方があるという帰着点なのだから、その源が真実だろうが真実でなかろうがどうでもよいのである。鬱屈をかかえてめんどくさいことをするより、自分をデコって浸る方を選んだのである。
 この傾向が強くなっていくのであれば、もはや自分でなくアバターでもよかろうということになる。さらに動画サービスのユーチューブも変容していくであろう。
 もっと進めば、アクセスだけでいいなら、そして、おもろしろおかしい動画でいいなら、しかも真実でなくていいなら、AIに撮影させればよいし、題材もCGで構わない。ということになってもはや人間が不在になってしまうのだ。
 工学屋はこれが見えているから理学屋にとどまろうとしたり、履き違えてしまうのだが、かくいう私も履き違えたままでいたい1人だ。
 けれども、それに親しい業界にいる今のポジションはキープしたい。なぜなら、ゴールドラッシュのときに、一番儲かったのは、金脈を掘った人でなく、その回りでスコップやジーンズを売った人なのだから。

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<来年の宿題>
・ソーシャルメディア研究
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