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左遷の日

菅原道真が左遷されたのが、901年のことで、そこから左遷の日と云われている。藤原時平が讒言を繰り返し、醍醐天皇が、道真に九州の大宰府勤務を命じたということである。

中国では、有名な漢詩を読む人のほとんどが左遷されてからである。出世への呪縛から、いままで視野狭窄だった心境が解き放たれて、清々しい心境を語るものであるが、道真公は祟ったらしいからそういった心境になかったのだろう。参考note: → go
また、藤原氏が権力を伸ばす中、いくら道真公が公明正大であったとしても、権力こそ力だという権力闘争のニヒリズムも伺える。

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カノッサの屈辱というのも今日である。
この歴史上の出来事を語るのは難しい。簡単にいうと、1077年に神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世のいるカノッサ城門の前で、破門の取り消しを願った事件である。それが、1月25日から3日間、皇帝が断食をして、破門を解いてくれるよう許しを請うたのである。これにより、結局は破門は解かれた。

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ハインリヒ4世はなぜ破門になったのであろう。そのあたりの事情を簡単にいえば、つまりは権力闘争なのである。この時代は、教皇と皇帝の二大勢力があった。そして、かなり複雑なことに神聖ローマ帝国は諸侯をゆるく束ねて統治していた。ゲルマン王国の伝統に基づき選挙制で王が諸侯から選ばれ、途中、事実上世襲が続いたこともあったが、そうでないときには、ローマ王はローマで教皇から戴冠しなければ皇帝と名乗れず、そのための選挙対策を迫られていたわけである。

La puissance impériale ne cesse de s’éroder avec la dynastie franconienne ou salienne issue de Conrad II, on retiendra particulièrement la lutte qui oppose Henri IV et le pape Grégoire VII dans la querelle des investitures et la pénitence de Canossa (1077). L’Empire sort affaibli de la lutte entre les deux pouvoirs, spirituel et temporel (lutte du Sacerdoce et de l’Empire)

 ローマ教皇グレゴリウス7世は、教皇をはじめ教会の重鎮の叙任権が、皇帝という政治家によるものになっているのをおかしいと思っていた。こうした空気も読まず、ことごとくハインリヒ4世は自分の言うことをきくものを教会においた。当時は、教会のもっている荘園は皇帝にとっては大事な領土基盤であったのである。グレゴリウス7世はあまりにひどいので激怒し、ハインリヒ4世を破門し、叙任権を剥奪した。加えてドイツ諸侯たちも反旗を翻し、1077年2月2日までに破門が解かれないときには、新しい王を選出することに決定してしまった。窮地に立たされたハインリヒ4世はしかたなく謝罪にカノッサへ出向いたわけである。

 やっとのことで許されたハインリヒ4世だが、権威は失墜して叙任権も剥奪されたままだった。カノッサの借りを返してもらおうとばかり、軍隊を率いてローマを包囲するのである。1081年にグレゴリウス7世は捉えられ、片腕を切り落とされた。カノッサではグレゴリウス7世には破門を解くメリットは特にないにも関わらず、温情をかけた。それを仇で返されたことに憤慨、しかもものすごい憤慨だったようで、これがもとで死んでしまう(憤死)のである。そして、カノッサの屈辱以来、叙任権闘争は禍根を残し、しばらく続くのである。

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 プライドを低くするのは、難しいことである。
横暴を目にしたり、これに出会ったりしたときには、なおさらかもしれない。グレゴリウス7世はハインリヒ4世が許せなかった。菅原道真公も時平を許せなかったから祟ったのであろう。優秀な人材だからこそプライドが高いのか、道真公ほどの教養をもってしても、プライドを下げるのが難しいのか・・・
 左遷や破門を厭わしく思わないほうがよいのではないかと思う。
参考note: → go
ちなみにハインリヒ4世のその後を書いておくと、その後も帝位は安定がはかれず、息子たちによって骨肉の争いが起き、長男コンラートととも争い、さらには次男ハインリヒ5世によって王位を奪われ、失意のうちにリエージュで没するのである。
 
 プライドを高くしないために、些細なことに感謝をし、自分よりも高いランクの人とつきあうように心がけ、決して言い訳をせず、周囲をバランスをとることを、そして何よりも正しいことなんて一つもないことをわかるように教養を深くすることが寛容だときく・・・
 が、知識や教養ある人が必ずしもバランスがとれるなんて実際にはあまり考えないことである。もっと違ったやり方があるのだろう。もしかしたらユーモアやキャラのほうが処世術として現実路線なのかもしれない。
五柳先生のように、生きようと欲す。

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<来年の宿題>
・プライドの捨て方
・菅原道真
・神聖ローマ帝国
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