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【3分で学べる偉人の名言】 「結果が全て」ではない!ガンディーの言葉から学ぶ「結果が全て」の危うさ

重要なのは行為そのものであって、結果ではない。
行為が身を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、
生きているうちにわかるとも限らない。
だが、正しいと信ずることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ
何の結果も出ないのだ。

マハトマ・ガンディー

本日はインド独立の父と称される「マハトマ・ガンディー」の言葉。

ビジネスや勝負の現場などでは「結果が全て」と言われてしまうことが多いと思う。

そういう場所では多くの場合、一生懸命「努力」や「工夫」をしても、勝てなければ(結果が出なければ)意味がないとされ、その結果を見て機械的に評価されてしまうものだ。

世の中で起こる多くの事件に関しても、この「結果が全て」というマインドが行き過ぎてしまい、行為そのものの「正しさ」を見失ってしまうことが原因になっているのではないだろうか。

「お金を稼ぐ」という結果を求めて「詐欺」を行う。

「余計なことを言われたくない」という結果を求めて、注意してくる人に「暴力」を振るう。

「ライバル会社よりも上に立ちたい」という結果を求めて「不正」を行う。

「結果が全て」というマインドで頭が凝り固まっている人を見ると、「損得勘定」でしか動けなくなっていたり、「人間不信」に陥ってしまっているようにも見える。

もちろん結果を追い求めることは大切なのだが、そこに「正しさ」はあるのか?という問いを常に持ち続けて、心から「正しい」と思えることに全力で取り組みたい。

そして、いくら正しい心を持っていても、「行動」に移さなければ意味がないということも教えてくれている。

「自分はおかしいと思っていた!」と後から言っても「後の祭り」というやつだ。

世の中こういうタイプの人間が多く、私は特にこの手のタイプの人間は苦手だ。

全くもって信頼が置けない。


自分が「正しい」思うことを「信じること」。

さらにそれを「行動」に移して「継続」すること。

これによって初めて「良い結果」と呼べるものを手にする権利が与えられるのかもしれない。

そう思って自分を振り返ってみると、今のところ「良い結果」を手にする権利が与えられる生き方ができていると実感し、今までの自分に感謝することができた。

ガンディーのおかげで今日も朝から自己肯定爆上げである。

ちなみにではあるが、「マハトマ・ガンディー」は本名ではない。

「マハートマー」はサンスクリット語で「偉大な」を意味する「マハー」と、「魂」を意味する「アートマン」を合わせた「偉大なる魂」という意味の尊称だ。

本名は「モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー」という長い名前。

今度からガンディーの話題になったら、

「あ〜。モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディーね!」

とドヤ顔で言うことにしよう!

※間違いなく嫌われるので要注意!笑

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