コンプレックスと幸福

彼とは個別指導塾のアルバイトで知り合った。パーテーションを挟んで向かいの席から彼が三角関数の微分公式を読む声が聞こえる。落ち着いて低い声。この授業が終わったら、彼はその低い声で私に甘えるんだろう。私は中学生に英語の問題集を解かせながら、彼の声を味わった。時々、それが何故だか性的にも魅力的に感じて、2人きりのときも数学の証明問題を音読してほしいとねだったこともある。

年中無休の正月のバーゲンセールのように乱れた彼の部屋で、地べたに落ちた解析学の参考書、どこかの学会のジャーナル、乱れた英語論文をよけて座る場所を作る。そして2人寄り添って鍋をつつく。

制服の私にはその小さな世界が幸福だった。


大学付属の高校に通っていた私は、高3の秋には進路が決まり暇を持て余して、地元の個別指導塾でアルバイトを始めた。当初は進学までは事務の予定だったけれども、講師不足のために小中学生の授業を担当したりもしていた。

講師の段取りは先輩講師から教わるという習わしがある。彼は私の先輩講師として紹介され、塾の備品や報告書の書き方等を私に教えた。

私は暇を持て余した私学の女子高生。初めてのアルバイト、そこで出会った先輩。

彼は野球部を引退した工学部の大学生。1人暮らしのアパートの近くのアルバイト、そこで出会った女の子。

デートを重ねて付き合うようになるのに時間はかからなかった。切ない片思いを長くしたわけでもなく、甘酸っぱい青春劇があったわけでもない。外部の力によって取得をした連絡先、健康的な年ごろの男女、ただ、それだけ。

やがて私は制服を脱いで、井の中からキャンパスライフへ繰り出した。

世界は私が期待したものではなかった。

彼は都内の某名門国立大学に通っていた。一方、私が中堅私大だった。彼の大学と合同のサークルに入るには偏差値の足りない大学だ。大学のレベルによって入れないサークルがある。大学のレベルによって話しかけてもらえない人がいる。大学のレベルによって渡してもらいない情報がある。学歴社会は健在だ。

高学歴の彼が、私に学歴など関係ないと言ってももう遅い。私はもう傷ついた。情けない気持ちで心が潰されそうになっていた。

悔しかった。昔から、学術的なものに憧れはあったし、そこに魅力を感じてきた。勉強が嫌いだったわけでもない。むしろ、積極的に知を追求するのは好きだ。彼の部屋で叡智を感じる文章の中でじゃれ合う背徳感だって覚えた。でも、私は受験をしなかった。いい大学に入らなかった。それだけで、私は彼側の人間ではないのだ。

小さな世界しか知らなければ幸福でいられた。されど、私は今更小さい世界には戻れない。戻りたくはない。もっと気がついてほしい。私がもっと優れた人間であると認めてほしい。だって私は特別なんだから。


それならいっそ・・・

そうして私は大学院を受験して俗に名門と呼ばれる学び舎の扉を叩いたのです。海外に留学もしたのです。肥大化した自己愛を具現化したのです。


井の中から出れば大海があり、大海の上には空がありました。どこまでいっても私はちっぽけです。でも、遠くまで歩みを進めすぎて、もう彼はいません。どうしてこうなってしまったのか。2人で寄り添ってつついた鍋が幸せだったことを忘れてしまったからでしょうか。













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