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いつも心に世界史Bを|パリ2015 #2

前日の行程:
勢いに任せた海外初一人旅の始まり。ようやく着いたパリで、凱旋門にご挨拶を完了。

エッフェル塔 登らない

早朝すぎて登れない凱旋門を後にし、エッフェル塔へ。凱旋門とエッフェル塔の距離はおよそ2kmのため、散歩しながら向かうのにちょうどよい距離にあった。

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パリのシンボルであるエッフェル塔、シルエットが東京タワーにそっくりなので、日本人的にはどうしても比べたくなる。

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大きな違いは、塔の下に建物がないので、真下から見上げることができる点。そのため無骨な鉄骨かと思いきや装飾が施されていることに気が付く。

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さてこのエッフェル塔、もちろん展望台まで登ることはできるわけだが、朝一番にもかかわらず長蛇の列。さすが超有名観光スポットである。さすがに時間が惜しいので、登ることはやめることにする。

また周囲には、結構な数の物売りがいた。エッフェル塔のキーホルダー的なものを輪っかにつなげ、ジャラジャラさせながら、そこらの観光客に「どうだ買わないか?」と売り歩いている。あんな怪しげなものを誰が買うのだろうか、と思いながらなんとなく目で追っていると、ある老夫婦があっさり購入していた。意外と買う人はいるのか。

そんな物売りを警戒してか、白バイ警察と軍人?が警備中。軍人、マシンガンを装備。大変かっこよろしい。

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セーヌ川クルーズ 「日本人」

凱旋門とエッフェル塔という、パリの2大シンボルをあっさり消化してしまって、急に途方にくれる。考えてみれば、あまりきちんと予定を立てていなかった。

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そのため、エッフェル塔からセーヌ川沿いに歩き、クルーズ船に乗ることにした。とりあえず船に乗りながら予定を考えよう、という算段である。

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船内にある自販機で水とキットカットを買い、甲板へ。各席にガイド音声があり、建築物などの解説を各言語で聞くことができた。が、どうもこのガイド音声、日本語もあるのだが、どうも様子がおかしい。日本語を話しているはずなのに、てにおはがメチャクチャで棒読み。そして音声チャンネルの表示が「日本人」。おそらく日本語と書きたかったところの変換ミスと思われる。どうもパリの日本人は日本語をお忘れのようだ。

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ガイド音声を無言で片付け、ただただ景色を楽しむ。全てに装飾が施された橋、並び立つ歴史的建造物たち、そして一際目を引く、ルーブル美術館とノートルダム大聖堂。パリは景観条例が厳しいことで有名だが、そのおかげで、ただ眺めているだけでも楽しい。さすがは世界でも最高の観光都市だ。

アンヴァリッド廃兵院 ナポレオン、いた。

クルーズ船から降りて、近くに何かないかとガイドブックに伺ったところ、ナポレオンが眠るアンヴァリッド廃兵院があるようだ。よし行こう。

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オテル・デ・ザンヴァリッド(仏: L'hôtel des Invalides)、通称アンヴァリッド(仏: Les Invalides)は、パリの歴史的建造物の一つ、旧・軍病院。廃兵院もしくは癈兵院とも書く。
引用:Wikipedia_オテル・デ・ザンヴァリッド

入り口では物々しい荷物検査の列。しかも検査をしているのが、マシンガンを持った軍人。さすがナポレオンが眠る場所、警備の力の入れようが違う。

僕のカバンの中身チェック担当は、女性軍人。小柄でお美しいマシンガンを持ったパリジェンヌだった。カバンを見て一言「OK」。大変クール。

内部には巨大なナポレオンの棺と、それを取り囲む天使の像。棺の中は当然見られないが、確かにそこにナポレオンが「居る」ことを感じる。そして同時に、世界史Bの登場人物に過ぎなかったナポレオンが、実在したのだ、ということに感じ入る。この分だとジャンヌダルクやリシュリューも実在したに違いない。

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このアンヴァリッドには、軍事博物館なる施設が併設されており、中世から近世・近代にいたる武器・兵器が展示されていた。刀剣、大砲、フルプレートなどなど。入り口の軍人たちは、武器になるこれらを警戒していた説が浮上。

ちなみにこの軍事博物館、子どもが入場すると、紙でできたナポレオンの帽子がもらえるらしく、あちこちに小さなナポレオンがいる。日本なら、子どもが揃ってチョンマゲをしているようなもの。微笑ましい限り。

凱旋門 登る

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そろそろ凱旋門に登れる時間だろう、ということで、あらためて凱旋門へ。日本で「ミュージアムパス」という、パリの美術館入り放題パス(ルーブル、オルセーなど)を購入していたので、それを提示すると、すぐに入場することができた。

足の部分から入場し、長い長い螺旋階段を登る。エレベーターなどという軟弱なものはここには無く、何人もの観光客が途中で疲れてはてている。階段数にして234段。僕は健康男子のため、次々に脱落していくペラペーラ観光客に道を譲られた。

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ようやく到着した凱旋門の頂上、地上50mの高さは、放射状に伸びる道を一望できる最高の景色だった。もちろんシャンゼリゼ通りも、建物の高さが統一されているために、先の先まで見ることができる。景観的に高さの統一は大変重要だ。

パレ・ロワイヤル リシュリュー枢機卿、いた

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パレ・ロワイヤル(仏: Palais-Royal)は、パリの1区にある歴史的建造物。現在は文化省や国務院、憲法評議会などが入る建物となっている。
引用:Wikipedia_パレ・ロワイヤル

パレ・ロワイヤルは、もとはルイ13世の宰相だったリシュリュー枢機卿の居館。彼の死後に主君に寄贈され、一時は王宮としても使われたため、パレロワイヤル(=パリの王宮)という名で現在に残っている。

現在では、国務院が入る建物が半分、骨董品や画廊などが入る建物が半分といった形で使われており、中の広場にも自由に入ることができる。

特に観光するものがあるわけではないが、リシュリュー枢機卿は、好きな歴史上の人物の中でも上位に食い込む人物なので、同じ地に立ってみたかったのだ。おかげで、ここパレ・ロワイヤルで、ナポレオンに続き、リシュリュー枢機卿の実在も確認することができた。

ノートルダム大聖堂 超重要

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パリのノートルダム大聖堂は、ゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
引用:Wikipedia_ノートルダム大聖堂 (パリ)

セーヌ川の中洲、シテ島にあるノートルダム大聖堂は、ゴシック建築の代表でパリ大司教座聖堂でパリ中心の基準点であり世界遺産であるという、語るものがいちいち最高峰のものばかりという、超重要な聖堂。

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すでに夕方に差し掛かっていたからか、並んではいたものの、すぐに入場できた。中は巨大な吹き抜けと、何枚ものステンドグラスから入る光で美しい。有名な薔薇窓も想像以上の巨大さ、豪華さ。

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大聖堂の上部に登ると、有名なガーゴイル像なども見られるようだが、正直なところ、凱旋門の螺旋階段でへこたれていたので、この日はパス。後日時間があればあらためてきてみよう。

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ノートルダム大聖堂が、超重要なのは、建築の豪華さや宗教的立ち位置もさることながら、歴史的に何度も登場する点にもある。

最も有名なのは、ナポレオンの戴冠式だ。皇帝ナポレオンは、ここノートルダム大聖堂で誕生したと思うと、感慨深い。他にも、フィリップ4世の第一回三部会の開催、ジャンヌダルク復権裁判の場所として、世界史Bで度々登場する。つまりフィリップ4世もジャンヌダルクも、どうやら実在したらしい。

バティニョールで一泊

ノートルダム大聖堂を出たのが17時ごろ。日本時間だと24時ということで、眠さと疲れが襲ってきたため、ホテルにチェックインして、食事もせずに就寝。

テンションのままに、初日から歩き回りすぎた。でも明日も歩き回るんだろうな。


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