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死にたいキミは、死ねなくて。

誰にだって、起きたくない朝がある。
あぁ、いきたくないなって。

でもそれは、学校の話しで、仕事の話。学校に、仕事に、行きたくない。

たまに何かがバグって、変換ミスが起こることがある。
朝起きて、あぁ「生きたくない」なって。

それがキミ。

キミは、朝、目が覚めて深いため息をつく。また生きてしまったと。

わたしは、朝、キミからの連絡が来て深いため息をつく。あぁキミは今日も生きていると。

わたしが疲れこけて眠る夜と、キミの夜は、同じ時のはずなのに全然違う顔をしているらしい。闇は、キミを深く包み込んで、そのまま離してくれない。

神谷美恵子という精神科医がこんなことを言っている。

 平穏無事なくらしに恵まれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きていかなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。
                   神谷美恵子『生きがいについて』

まさにキミのことだと思った。

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何気なく見たスマホ

意味もなく開くインスタ。

もう癖になってしまっていて、なんの意味もない流れ作業。

暇つぶしにみるストーリーも指が勝手に次々に写真を開いて、「あっ、美味しそう」「最近流行ってるな、この店。」とかそんな感じで流していく。

「死にたいけど、その勇気もない」という文字も流れて行った。

「あぁ、また誰かが病んでる」
それくらいの感覚だった。


周りには「死にたい」が溢れている。
テスト遅刻したら「死にたい」し、バイトの店長だるければ「死にたい」し、好きな人にスッピン見られて「死にたい」し、結果的に人生詰んで「死にたくなる。」


でも、キミの「死にたい」はなにか違った。

これはやばい。もしかしたら、、、本当に、、、

連絡すべきか、しない方がいいのか、迷った。

蔓延した「死にたい」に、わたしを含めた周りの反応は鈍くなってる。本当に追い込まれている人が埋れていく。そして、SOSが出ていても、なんて声をかければいいのか、そもそもどうしていいのかわからないことが多い。

わたしも、例外なくどうしていいかわからなかった。
わたしの思い違いで、「つらたん」とかと同じ意味の「死にたい」かもしれない。迷って、迷って、迷って、気づいた時には涙が出ていた。

そもそも、キミのことを何もわかっていなかった。


わたしにはわからない。
キミが死にたい理由も、死ねない理由も。

わたしにはわからない。
キミが今どんな顔をしているのか。キミの目はなにを見ているのかも。

わたしにはわからない。
何をしていいかも。どんな声を掛ければいいのかも。

わたしにはわからない。
なにが、キミを苦しめているのか。キミはなにに縛られているのか。

なにをするにしても、なにもしなくても、
生と死の間で、どっちに転んでもおかしくない状態で、でも変に器用なところがあるから転ぶこともできなくて。


今日もキミは早く綱が切れろと願いながら、綱渡りをしている。

今日もわたしはもっと綱が太く頑丈になれと願う。

人がかける声も、キミの元まで届かない。
深い谷にこだますだけ。


死生学を勉強していても、自殺についての本を読んでも結局はなんの役にも立たない。

死にたいと願うキミとわたしが向き合った時にあるのは、
なんで死にたいかもよくわかっていないキミと、なんで死んでほしくないのかわからないわたしだけ

小手先の言葉はなんの意味をなさず、ただ「わたし」として向き合うしかない。

だから、言ったの
「一緒にパンでもやく?」って笑

そしたら介入方法が独特過ぎてついていけないって言われちゃった笑
まぁそんなもんよ。だって、急に「なんで死にたいの?」って聞いても教えてくれないでしょ。

適度な距離とか、適当な言葉とか、そんなの見つからないので、そんなのは探すのやめた笑笑
キミが死にたかろうが、元気だろうが、わたしはいつも通りウザ絡みする。

まぁ、そんなこんなでキミとまた連絡を取り始めてからだいぶ経って、4月が終わった。

5月が始まる。

じめじめしてTシャツがまとわりついてうざったいこの季節、そして社会を
死にたいキミと五月病にかかりながら、
またひと月。

綱渡り。



あとがき

肌感として、わたしの周りで蔓延していた「死にたい」は、コロナ以降より現実的な意味を持って発せられることが多くなってきた。

自殺念慮までいかなくとも、言葉に表しようのない孤独感や、不全感を抱き、「生きたくない」、「生きれない」、そして「死にたい」といった想いを抱えている人が増えていると思う。あなたの周りにもきっと「キミ」はいるはず。

だけど、それは非常に見えにくい。

普段でも見えにくいのに、直接会う機会が減ったいま、相手からのなんらかのSOSが発せられない限り、見つけることは限りなく難しい。
そして、見つけてもなんて声をかければいいのかもわからない。

そんな時は、とりあえずお得意の天気の話でもしましょう。

わたしは実際、会話の内容はどうでもいいと思っています。そんなことより、「あなたの存在を覚えているよ。」ということが伝わればいいんです。

*これはあくまでも何者でもないわたしの見解です、、、

「つらい」に耳が傾けられる世の中になりますように。









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