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Track#1:死ぬ前にたった一度だけでいい

ピチカート・ファイヴのアルバム"over dose"の最後のナンバー。

「陽の当たる大通り」という曲がある。明るく軽快な曲調で、素敵に愛されることを夢みる女の子が歌うような雰囲気。暖かな春にパステルカラーのワンピースを着て、ペーブメントタイルの上を、お気に入りのスニーカーを履いて歩いていく感じ。そういう無邪気なデイドリーマーの歌だと思う。

でも、この曲を私が初めて知ったのはキリンジのカヴァーの方だった。ピチカート・ファイヴとは一転して、スローなピアノにゆっくりとした独白のような曲調だ。冬の鈍い日差しの中、マフラーに深く顔をうずめながら聴くのがいい。女の子が夢みる恋なんかじゃなく、一気にリアリティを帯びて心に襲い掛かってくる現実感がある。



死ぬ前にたった一度だけでいい 思いっきり愛されたい

おんなじ歌詞なのに、この一文の意味がこんなにもまるっきり違う。こんなことってあるかしら。是非とも聴き比べてほしい。ピチカート・ファイヴの方は、まだ見ぬ誰かとの恋を夢見ている曲なのに対し、キリンジは明確な誰かとの恋を夢見ているように感じられる。

あの人に思いきり愛されたい。二人肩をならべて、陽の当たる大通りを、大きな声で、ステップ踏んで歩き出す。訪れないその日の夢をみている。でも、現実の二人は、肩を寄せて、夜更けの裏通りを、ささやき合うように、重い足どりで歩いている。キリンジのカヴァーは確かにそういう対比を予感させるメロディラインなのだ。

同じ詩と音程なのに、作曲や歌い方でここまで反対の印象を与えるという、素敵な一例。

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