242回 All I Need is Fashion



先日東京で『ファッション・フリーク・ショー』を観る機会があった。
言わずと知れたジャンポール・ゴルチエの半生を描いた舞台である。
ファッションはもちろんのこと、ダンス、音楽、映像の全てがゴージャスでエキサイティングであった。ミュージカルでもない、レビューでもない、まさに「ショー」としか表現のしようがないそのステージは、とても刺激的であると共に、ファッションというものについていろいろ考えさせられた。
今回はそのことについて書いてみようと思う。

自分で服を選ぶようになった10代後半は黒づくめの格好ばかりで、母親にはよく「女の子を産んだ甲斐がない」と嘆かれたものだ。そういう母親も赤やピンクが嫌いで、私には青系の服ばかり着せていたのでどの口が言うという感じだったが。
お金がないので安い服を工夫してコーディネートするわけで、昔の写真を見ると「なぜこうなった」と頭を抱えたくなるようなものも多いのだが、誰しもこういう黒歴史はある、あるだろう、あるに違いない。失敗なくして成長はなし(と思っておこう)。

1980年代に一世を風靡したモード系。「黒の衝撃」とか「カラス族」とか呼ばれたファッションは、Y’sとギャルソンに代表されることは言うまでもない。私はどちらかといえばY’s派であったが、今に至るまで特に特定のブランドだけに拘ることはなく、その時々の自分のスタイル(気分・体調・そして価値観)に合った服を選んできた。
ゴスやゴスロリといったファッションがまだ巷に出てきていない時代である。単にモード系というのではなんとなく物足りない。私にとって服は即ち衣装である。シンプルで洗練されたファッションはもちろん格好良いと感じるが、もっと過剰で逸脱したなにかが欲しかった。

1980年代にはもうひとつ世界に躍り出たブランドがある。それがジャンポール・ゴルチエだ。コルセットやブラジャーといったクラシカルな女性下着をモチーフにした大胆なそのデザインは、当時のファッション界に衝撃を与えた。
人は新しいものを本能的に警戒する。それはファッションでも同様である。業界のお偉方やファッション・ジャーナリストたちは、彼のデザインを酷評した。こんなものはファッションではないと。
誕生した当時は新しいものとして同じように批判されたであろうブランドも、時代を経てハイブランドのメゾンとなった時、残念なことにそのどれもが「権威」となってしまう。
これはファッションだけではない。音楽も文学も、そして雑誌などのメディアも、かつては革新的で反体制派として狼煙を上げていたような存在であっても、いつのまにか「権威」となり堕落する。
メジャーなブランドで最後まで「権威」にならなかったのは、ヴィヴィアン・ウエストウッドとジャンポール・ゴルチエだけなのではないか。
そう言う意味でも、ゴルチエは私にとって特別な存在であった。

ゴルチエは1978年に自身のブランドを設立したが、3シーズン後に資金が尽きてしまう。そのとき資金提供などで全面的に支援したのは、オンワード樫山のフランス法人だったカシヤマフランスなのだという。その後もオンワード樫山は1981年にゴルチエとライセンス契約を結んで、2006年までこのブランドを支えた。(その後はライセンスではなく、輸入と販売の契約に切り替えられて、ゴルチエ引退まで支え続けた)
オートクチュールなどは言うに及ばず、普通のプレタポルテであっても若者にはなかなか手が出ない。それをこのライセンス契約のおかげで、20代の私も、ささやかながらチュールカットソーやバッグや香水などをちまちまと集めることができた。
ゴルチエの店舗が表参道にあった頃、一度だけ行ったことがある。店の作りからしてかなりユニークで、どこから入るんだという感じがいかにもらしかった。相手をしてくれた店員の男性が思いのほかフレンドリーで、たいした買い物ができなくても、とても楽しい時間を過ごすことができたことをよく覚えている。
このあたりにも、ゴルチエが「権威」にはならなかったことの本質が表れていると言えるのかもしれない。

今回のステージの冒頭は、6歳のゴルチエがテディベアのナナに口紅をひき、新聞紙で作ったコーンブラを縫い付けるエピソードから始まる。世界初トランスジェンダーのテディベアの誕生だ。
そしてスクリーンが開き、テディベアの着ぐるみファッションのダンサーたちが、鮮やかに目まぐるしく映し出される映像の前で踊る姿を見た時、なぜか涙が出た。
ああ、ファッションはこんなにも自由でいいんだ。過激で、過剰で、奇妙で、馬鹿馬鹿しく、美しく、魅力的で、楽しい。
最も効果的な自己表現の手段であり、ゴルチエ自身の言葉通り「自分と他人とのコミュニケーションツール」であるファッション。
もちろん常に意識的に装う必要はない。部屋着やスウェットでリラックスして過ごすこともありだ。最低限のTPOを守ることだって大事だろう。
でもファッションは日常着ではない。ファッションはハレの日の服だ。周囲の目を気にして好きな服を着ることができないなんて、それは大層勿体無い。

好きな服を着よう。もっとファッションを楽しもう。
それが一番あなた自身を輝かせる最高の手段なのだから。


登場したアイテム:香水
→現在は「Classique」という名前になっているゴルチエの最初のオード・パルファム「Jean Paul Gaultier」。印象的なコルセットボトルが好きで、新しいデザインが出る毎に集めてたな。実はこれも、資生堂のフランス法人であるBPI(ボーテ・プレステージ・インターナショナル社)がジャック・キャバリエに調香を依頼したライセンス商品である。ゴルチエと日本との関係は深い。
今回のBGM:「Like a Prayer」by Madonne
→ゴルチエを一躍世界的に有名にしたのは、1990年「Blond Ambition Tour」でマドンナが身につけたコーンブラのレオタードである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?