266回 虚心坦懐


誰しもがなんらかのこだわりの一つや二つは持っていると思う。
それは目玉焼きにはソースだったり、トランクスじゃなくてブリーフだったり、毎日日記をつけるだったりと、日常生活の中のちょっとしたことである場合が多いだろう。中には絶対に道の角は直角に曲がるなどという、他人からしたら良くわからないところにこだわる人もいるかもしれない。それでもその本人にしてみれば、それをしなければその日一日居心地が悪く落ち着かないような、一大事なのだ。
また一方では、「こだわりの逸品」「素材にこだわった味」などといった褒め言葉として使われることもある。
ではこだわることは果たして良いことなのか悪いことなのか。
今回はこの「こだわる」ことについて考えてみる。

こだわるは漢字で「拘る」と書く。
「拘」という字は「拘束」「拘禁」というように「とらわれる・とどめられる」といった意味や、「かかわる」「曲がる」といった意味も持つ。「拘」の字は「拘う(かかずらう)」と読んでも、「些細なことやつまらないことに気を取られる」という意味になる。
そもそも「拘」という字は、「5本の指のある手の象形」(左のへんの部分)と「曲がったカギの引っかかった象形と口の象形」(右のつくりの部分)からできている。言葉に詰まることからとも、手をカギ(この場合は鍵ではなく鉤の方)のように曲げて引っ掛けることからとも言われているが、とにかく「とどめる」「かかわる」という意味になったそうだ。「拘」の「曲がる」という意味は、関節の「拘縮」という場合に使われている。
「こだわる」という動詞は辞書を引くと、まず一番に「ちょっとしたことを必要以上に気にする」と書かれている。「こだわる」と似た言葉として「拘泥する」というのがあるが、これも「必要以上に一つのことを気にして執着すること」を意味する。「泥」という字は「泥む(なづむ)」という動詞にも使われて「思い込む・執心する」という意味になる。「拘」と「泥」で二重につまらないことに執着している意味になるのだから、それはかなりのものだろう。
「こだわる」ことはそのことにいつまでもとらわれる状態であり、そのため他のことが疎かになりがちとなる。「そんなことにいつまでもこだわっていないで」「変なこだわりは捨てなさい」などの定型句を口にしたことがある人は多いに違いない。
このように本来「拘る」は、悪い意味で使われる言葉であった。

それがいまやどうだろう。
「味にこだわった素材」など、「こだわる」ことに対してプラスの評価を付加した使い方が大手を振っている。2020年の調査でも、「作り手のこだわりを感じる」という表現に肯定的なイメージを持った人が、7割にも及んでいる。
「こだわる」ことを良い意味にとらえる用法は、40年程前から使われるようになった。1982年の新聞に掲載されたお中元についての記事に、「こだわりのギフト」という言葉が使われているそうだ。それから今に至るまでに、この「こだわり」はすっかり市民権を得て良い意味で使われるようになった。
今では辞書にも「新しく生まれた語や意味」として、「物事に妥協せずとことん追求する」という意味も掲載されるようになっている。
ただ注意しなければならないのは、この場合の「こだわり」というのはあくまでも個人的なものであり、客観的には何の価値もないような場合もあるということである。本人がいくら「こだわって」いるからといって、それが他人から見ても意味のあるものとは限らない。あくまでもひとりよがりである可能性があることを意識しないと、空回りとなって他から厄介で頑固な奴として煙たがられる場合もあるということだ。
ということで、自分からこだわっていることはあまりアピールしない方がいいかもしれない。

精神科の診察に於いては、患者さんの余りにも強固で特異なこだわりは症状のひとつとしてとらえることが多い。強迫神経症の患者さんが手を洗い続けていたり、鍵がかかっているか繰り返し何度も確かめたりすることも、一種のこだわりである。行為自体は普通のことであっても、度を超してその行為に執着して止めることができない状態は、治療の対象となる。
また発達障害の中で、自閉症スペクトラム障害(ASD)の子供によくみられる特性として「こだわり行動」というものがある。これは他の発達障害にはあまり見られないASDに特徴的な行動として、診断基準にも記載されている。「こだわり行動」とは、特定の物や場所に非常に強い執着を示し、それが変わることに抵抗したり時にはパニックになったりすることや、同じ言葉や動作をずっと繰り返していたりすることを指す。
これは環境や育て方や性格や心理的要因からくるものではなく、脳の機能の特性に基づくものなので、それを理解して対応することが大事である。怒って無理にやめさせてどうにかなるものではないのだ。「こだわり」を完全に無くそうとするのではなく、少しずつ他に切り替えていけるような工夫を凝らし、根気強くその「こだわり」から距離を取れるようにしていく。こうやって書いているほど簡単なことではないが、不可能ではない。

誰もがなんらかのこだわりは持っている。
それが他愛もないことであっても、邪魔されたり馬鹿にされたりすれば、良い気持ちはしないだろう。自分だけでなく他人のこだわりにも気を配りたい。

言葉は生き物である。時代に伴い、その意味も使い方も変化していく。
こだわらず柔軟に使っていきたいものである。


登場した言葉:こだわり
→私のこだわりですか? そうですね、火曜日に筋トレすることと出会った猫には必ず声をかけることぐらいでしょうか。
今回のBGM:「ホルン三重奏曲」 ヨハネス・ブラームス作曲 / ミュンヘン・ホルン・トリオ演奏
→現代型のホルンが普及し始めている時代にあっても、ブラームスはそれまでのナチュラルホルン(ヴァルトホルンとも呼ばれる)を愛し、それを演奏に使うことにこだわったそうだ。「森のホルン」という意味のこの楽器、高い演奏技術が必要とされるが、多彩でやわらかい響きを醸し出す。

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