211回 計量の王国


はかりものが好きである。
測る、図る、量る、計る。謀るはちょっと違うが、同じ「はかる」にも沢山の意味がある。
冬になれば温度計で今朝の最低気温を確認するのが楽しみ(なのか?)だったり、気圧計が上がったり下がったりするのを見ては一喜一憂したり。体重計にはあまり信頼を置いていないが、それにしても何かをはかるのは楽しい。

人類はその500万年に及ぶ歴史の中で、ごく最近になるまでものをはかることはしなかったらしい。数の記録は3万年前の旧石器時代後期にはやっていたそうだが、数を数えることと何かをはかることは異なる概念だ。
何かをはかるには、単位が必要である。当然と言っては当然だが、単位の基本となったのは人間の体の部分や五感であった。現在でも使われている「インチ inch」は男性の親指の付け根の幅、「フィート feet」は足のつま先から踵までの長さが元である。日本でも「尺」は親指の先から中指の先までの長さ、「寸」は尺の1/10であり、インチと同様元々は男性の親指の幅であった。
面白いのは五感を元にした単位だ。シベリアでは「ブカー」という視覚を元にした単位があるそうだ。これは雄牛の角が見分けられなくなる距離の単位であり、視力や天候によっても異なるのでかなり曖昧なような気もするが、おおよそ数kmだという。
インドの「ゴルータ」という単位は、牛の鳴き声が届く範囲という聴覚を利用した珍しい単位である。これは古い文献から推測すると1.8kmとなるが、同様の「クローシャ」という単位もあり、こちらは3.6kmだそうだ。静かな平地で鳴き声が届く範囲は、実際に2~3kmだというから、だいたい正しい。
それにしても視覚の単位も聴覚の単位もどちらも牛というところが、人類と牛との深い関係を示唆している。

我が家にはかつて独自の単位があった。
クルマの免許を取ったばかりの私は、自分用の中古車を手に入れようと目論んでいた。連れ合いが馴染みのクルマのディーラーに相談すると、新車を売る際にお客さんの中古車を買い取るので、安いものを譲ってくれるという。
日産のマーチという小型の大衆車が、なんと2万円という破格の値段だ。免許取り立ての初心者にとっては、新車でなくても全く問題ない。かえってぶつけたりする可能性が高いので、中古車の方が気兼ねがない。
その結果うちでは「1マーチ=2万円」という単位が誕生した。
いまかいまかと胸躍らせて納車の連絡を待っていたある日、そのディーラーから電話が入った。納車の前に持ち主が事故って、そのクルマがかなりのダメージを負ってしまった、それを修理するためには何十万もかかるという。それだけかけて修理をするなら、最初からそれなりの金額の中古車を買った方がましである。
2万円で中古車を手に入れるという夢は儚く潰えてしまった。
それと同時に「1マーチ」という単位も消滅したのだった。

度量衡という言葉がある。長さ(度)・体積(量)・重さ(衡)の単位、およびこれらの計量器について定められた慣習や制度のことを指す言葉だ。
古今東西、国を治める際には税金の徴収や貨幣の流通のために、正確な計量が必須である。ものをはかるということは、客観的な基準がなければ成立せず、そのために必要なのが単位の統一なのだ。
紀元前5000~4000年頃、古代メソポタミアでは既に高度な度量衡制度がつくられていた。古代エジプトの最古の天秤は紀元前4000年代というから、ほぼ同時期に発達したと考えられる。やはり古代エジプトは「はじめて」に関しては負けてはいない。
黄河流域では、紀元前1700年頃には度量衡制度があったようだが、全国的な統一は紀元前221年に秦の始皇帝が行った。日本に於ける最初の度量衡制度は、唐の律令制度を基にして定められた701年制定の大宝律令である(日本史の授業で聞いたことを思い出した人は多いだろう)。

長らく単位はその土地の統治者によって異なるものであったので、国家間や地域間の取引ではその都度換算する手間がかかり、トラブルのもとになることも多かった。19世紀にスイスが行った調査では、フィートだけで37種類の違う大きさがあったというから、その混乱ぶりがうかがわれる。
これではいかんと立ち上がったのが、フランス革命真っ最中のフランスの政治家タレーランであった。誰もが納得して使用できる計量の基準、どの国にも属さない新しい単位を彼は提案した。それが現在我々が使っているメートル法である。
最初に決まった1メートルの定義は「地球の赤道から北極までの距離の1000万分の1」というものであった。ここで問題だったのは、当時誰も正確な地球の大きさを知らなかったということで、なんというか無謀な定義である。
わからないなら調べてみようということで、ドゥランブルとメシェンという2人の天文学者が立ち上がる。彼らは6年を費やしてスペインのバルセロナからフランスのダンケルクまでの距離を実際に測量し、それをもとに地球の大きさをはじき出した。その結果ようやく1メートルが定義されたのである。
フランス革命の最中にこのような大事業を成し得る志の高さ(というか執念)には、恐れ入ると共に感心するしかない。1799年には「メートル原器」と呼ばれる全てのメートル法の基となるものが、パリの国立公文書館に収められ、現在もそこに在る。

メートル法は1875年にメートル条約として成立し、日本も1885年に加盟している。
ところがそうは簡単には浸透せず、昔ながらの尺貫法の単位も並行して長らく用いられ続けた。商取引では63年前まで、土地建物の取引では56年前まで使われていたが、ついに法律で使用が禁止されることになり、現在ではメートル法で統一されている。

いまでは体重計も単に重さだけでなく、体脂肪のみならず筋肉や骨といった体の組成まで測れるようになっている。
計量器が正確でなければその数値も信用できないことから、計量器の検査や管理を行う「計量士」という国家資格もある。合格率が15%程度という非常に難しい資格だ。
はかる、ということはそれだけ大事なことなのである。
やはり1マーチは無謀だったと思う。


登場し(なかっ)た単位:1キログラム
→1キログラムはもともとは1グラム(最大密度にある蒸留水1ミリリットルの質量)の1000倍という単位だが、作られた原器が1キログラムの質量を示すものであったため、1キログラムの方が重さの基準となった。
今回のBGM:「薔薇は美しく散る」 山上路夫作詞・馬飼野康二作曲・鈴木宏子歌唱
→TVアニメ「ベルサイユのばら」のOP主題歌。原作の漫画にもアニメ版にも、タレーランは出てこなかった、と思う。


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