第88回 大きな玉ねぎの下で


はじめてライヴに行ったのは、高校生の時だ。
デヴィッド・ボウイ2回目の来日の武道館公演。2学期の期末試験が始まる前日だった。
当然親からは強烈に反対され怒られたが、参加強行した。営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線九段下駅から長い階段を上がると、そこには縁日の屋台のように道沿いに様々な非公式グッズを売る店が並び、開場前の期待で顔を輝かせたファンたちが列をなしていた。当時は公式がいろんなグッズを作って売るということはあまり一般的ではなくて、こういった明らかに著作権・肖像権違法の非公式グッズを売る出店が、所狭しと会場周辺に並んでいたものだ。
小学生の時の書初め大会以来の武道館は、まばゆいステージの照明と最上段まで埋め尽くされた観客で、まったくの異空間となっていた。高いスタンド席から見下ろしたボウイは小さく光り輝いていてよくわからなかったが、天井から吊り下がっている巨大な日の丸の違和感と、広大な空間が音楽で満たされている幸福感にぼうっとなって帰宅した。
翌日の期末試験がそれはもう散々であったことは言うまでもない。

その後武道館にはライヴのために何度も通うことになるのだが、毎回行く度に妙な建物だなとしみじみと見ている。
そもそも「日本武道館」という名前からして、日本伝統の武道の普及と奨励のために建てられた建物である。爆風スランプが「大きな玉ねぎの下で」と歌ったあの正八角形の特徴的な屋根の意匠は、法隆寺の夢殿と富士山をモデルにしたとのこと。ちなみに武道館を設計した山田守は、ル・コルビュジェなどに影響を受けた近代日本を代表するモダニズム建築家であり、武道館の他には御茶ノ水駅近くの聖橋や京都タワーの設計で知られている。
そもそも武道館が建てられたのは、1964年東京オリンピックの柔道競技場として使うためであった。この東京オリンピックで、初めて柔道がオリンピック競技の正式種目になったのだから、それは力が入ったことだろう。当時の金額で総工費が18億円というのだからかなりのものだ。
当時は「日本武道の聖地」という意味合いが強かったため、1966年にビートルズの来日公演で使われた時には「冒涜だ」などと批判がかなりあったという。しかしこの公演のおかげで、今度は武道館は「音楽の聖地」として知られることになった。数々の洋楽アーティストが「Live at Budokan」のアルバムを発表したことで、「Budokan」の名は世界中の音楽ファンの間で有名になった。

武道館の天井から下がっている日の丸=日章旗は、いかなるイベントでも掲揚しなければならないことになっているそうだ。アリーナと呼ばれる中央の床は、本来は大道場と言う板張りの場所で、柔道の際に使用される数百枚の畳は地下に収納されている。
武道館は行ったことがある人はわかると思うが、各階が簡単に行き来できず迷路のようになっている。そのため目的にする階によって入口自体が異なるため、間違って別の口から入ると、非常な遠回りをしなければならず難しいのだ。
本来は15000人を収容できる大きさは、アリーナクラスの会場が各地にできた今ではそれほど大きいものではない。ステージを作る際にはその背後に観客を入れないことが多いので、実際はライヴの場合8000人程度が定員となる。正八角形の形状は、観客の視線が最長40m以内となるように、内径が80mに設計されているそうだ。
元々音楽のために設計された建物ではないため、ライヴの音は決して良いとは言えない。それでも「武道館でライヴをする」というのがいまだにミュージシャンの憧れと言えるのは、この会場が培ってきた半世紀以上の歴史の重みにあるのだろう。

武道館が建っている場所は、江戸城を築城した太田道灌が津久戸明神(田安明神・築土神社)を遷座した場所である。津久戸明神に祀られているのは、関東の守り神であり祟り神でもある、かの平将門だ。
将門の娘は滝夜叉姫。元祖戦闘少女みたいなものだから、なにかしら少女にもご利益があるはずだ、と思ったりもする。こじつけだが。


登場した玉ねぎ:擬宝珠(ぎぼし)
→建築物の飾りの一種。仏教における宝珠に由来するという説と、形が似ているネギの臭いが魔除けになる(ニンニクか!)という説があるらしい。
今回のBGM:「Pilgrim」by Eric Clapton
→武道館で公演を行った洋楽アーティストのダントツ1位はクラプトン。96回だそうで、総合でも3位。どんだけ武道館好きなんだ。


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