273回 シャンパンゴールド


シャンパーニュ、いわゆるシャンパンだ。
最近は元のフランス語に則ってシャンパーニュと呼ばれることが多いが、日常会話ではシャンパンの方が通りが良いだろう。普段は手頃な価格のスパークリングワインを飲んでいても、正月ということで由緒正しいシャンパーニュを開けた。

シャンパーニュは発泡している酒であるが、酒税法上では発泡酒というカテゴリではない。
日本の酒税法で「発泡性酒類」というと、ビールや所謂日本でいうところの発泡酒や第3のビールというカテゴリのものを指すのだ。ではシャンパーニュは何に分類されるのかというと、ワインと同様の「醸造酒」である。因みに酒税法では、製法の違いによる「醸造酒」「蒸留酒」「混成酒」という3種類の他に、この「発泡性酒類」という微妙な分類がある。これはビールもどきが出てきた際に税金関係のなんやかんやがあって、殆ど苦し紛れに生み出された分け方なのだ。
話を戻すと、シャンパーニュは「醸造酒」の中の「果実酒」とされる。ヨーロッパ諸国では、ワインもシャンパーニュもブドウから作られたものと定められているが、日本では特に原料の決まりはない。ただやはりシャンパーニュといえばブドウであり、リンゴから作られる発泡性の酒はシードルと呼ばれる。

1993年6月にイヴ・サンローランから「シャンパーニュ」という香水が発売された。
当時サンローランの化粧品を使っていたこともあり、私はデパートの化粧品カウンターでこの香水のサンプルのミニボトルをもらうことができた。フルボトルと同じように、シャンパーニュの瓶のコルクとワイヤーの部分を模したミニチュアのこのサンプルは可愛らしく、また香りも甘く華やかでとても素敵だった。ソフィア・グロスマン調香のこの “成功の香り“(というキャッチコピーだった)は、大々的な宣伝の効果もあり世界的に大ヒットした。
ところがここで問題が起こる。同年12月にフランスで、「シャンパーニュ」という名称はシャンパーニュ地方で製造されるスパークリングワイン以外に使ってはいけないという訴訟を起こされたのだ。結局この裁判で敗訴したサンローラン側は、数年後香りは変えずにこの香水を「イヴ・サンローラン」、そして「イヴレス」という名前に変更して再発売したのだった。
ただ私にとってこの香りは、その頃はまだあまり飲んだことがなかったシャンパンというお酒のキラキラしたイメージと共に印象付けられたので、この香りを嗅げばやはり「シャンパーニュ」という名前が浮かぶと思う。

そもそも「シャンパーニュ」とはなにか。
フランス北部、パリから北東に位置するシャンパーニュ地方には、紀元前からガリア人が住んでいた。彼らはローマと交易があり、ワインを大変好んで大量に買い付けていたという。ガリア地方を征服したローマ人はブドウの栽培を禁止したと言われるが、実際には1世紀には既にブドウ栽培は行われていたそうだ。
その後キリスト教の布教と共に、教会がブドウ栽培に主導的な役割を果たすようになる。中世のランス郊外には大修道院が所有する広大な葡萄畑が広がっていた。実はこのシャンパーニュ地方は、ヨーロッパのブドウ栽培の北限でもある。
それまでワインのブレンドが上手くいくかは偶然の産物という不安定なものだったが、それを研究に基づき異なる産地や品種の調合(アサンブラージュ)を試み、シャンパーニュ製造技術の確立に決定的な役割を果たしたのが、オーヴィレ修道院ベネディクト会修道士ドン・ピエール・ペリニヨンだった。そう、かの「ドンペリ」の名の由来となった人物である。
そして17世紀末から18世紀初めに初めて発泡の仕組みが解明され、発泡性ワインを作るための特殊な醸造技術が確立された。それまで全部まとめて「ヴァン・ド・フランス(フランスのワイン)」と呼ばれていたのが、1690年からは「ヴァン・ド・シャンパーニュ(シャンパーニュのワイン)」という言葉が使われるようになった。

発泡性ということは、常に気化するべく圧がかかっているということだ。シャンパーニュの栓を開けたことがある人はお分かりだろうが、あの栓を抜くのにはかなりの力がいる。「ポンッ!」と勢いよく抜けた後に、よく冷やしていないと「シュワッ」と吹きこぼれた経験もあるかと思う。つまり発泡性のある液体を保存するには、それなりの知恵が必要となるということだ。
ここでガラス瓶とコルク栓という2大発明が功を奏す。この2つ無しには、我々はシャンパーニュを遠くフランスの地から運んで飲むことは出来なかった。17世紀から発達してきたガラス産業は、18世紀には圧力に耐えうる厚手のガラス瓶を製造できるようになっていた。またコルク栓は金属と違ってワインの持つ強い酸にも耐えうる。
それにしても、酵母が糖分を分解してアルコールと二酸化炭素に変えるこの発酵という過程がルイ・パスツールによって発見されたのが、つい最近の1860年のことだとは、人類は如何に長い間経験だけで酒を作ってきたのだろうと感心する。もはやこれは酒を飲みたいという執念だろう。
シャンパーニュ地方のブドウ栽培は、19世紀後半にフィロキセラの被害により壊滅的なダメージを受ける。それを乗り越え団結したこの地方の人々は、「シャンパーニュ」という文化遺産を守るべく奮闘した。1887年には初めて、シャンパーニュ地方で生産されるワインにのみ「シャンパーニュ」という名称が使用できる判決が下された。そして1935年に原産地統制名称(AOC)のコンセプトが生まれ、翌年「AOCシャンパーニュ」が認められることとなった。

日本人が初めてシャンパーニュと出会ったのは、かの黒船来航の時である。異国の船に乗り込んだ幕府の役人に、ペリー提督がシャンパーニュを振舞ったという文献が残っているそうだ。その後もシャンパーニュは外国との交流の際に度々重要な役割を果たし、鹿鳴館でも最高級のシャンパーニュが供されたというから、日本人の好みにも合ったのだと思われる。
とはいえシャンパーニュが庶民の口に入るまでにはだいぶ長い時間を要した。1980年代後半バブル真っ盛りの時期に一世を風靡した「シャンパンタワー」を覚えている方も多いだろう。なんともったいないことよと思ったものだが、シャンパンタワーもF1グランプリの有名なシャンパンファイトも、どちらもシャンパーニュのグランドメゾンであるモエ・エ・シャンドン社が生み出したというから、一応由緒正しいと言える。因みに「ドンペリ」こと「ドン・ペリニヨン」というシャンパーニュのブランドは、このモエ・エ・シャンドン社のものである。
昨今のホストクラブではシャンパンコールなどというものもあるようだが、やはりシャンパーニュは見栄や虚勢ではなく、しっかり味わって飲みたいものである。

元旦に開けたシャンパーニュは、モエ・エ・シャンドンだった。
十分美味しかったが、これまで飲んだ数少ないグランメゾンの中では、ヴーヴ・クリコの「ラ・グランダム」が最高でした。
ところでヴーヴ・クリコは結婚披露宴には出さないって知ってました?


登場したアイテム:コルク栓
→実はコルクには唯一欠点がある。それが「ブショネ」。ソムリエが抜栓したコルクの匂いを嗅ぐのは、このブショネが無いかを確認しているのだそうだ。ブショネとは、元々コルクに存在した細菌と消毒に用いられる塩素によって、TCA(トリクロロアニソール)という物質が発生し、ワインを汚染することである。どんな高級ワインであろうと安いデイリーワインであろうと、このブショネが発生する可能性はあるということで、実際2~5%というから結構な比率だ。2020年以降はTCA除去システムが開発されて、新しいコルク栓はこの心配がだいぶ減っている。このブショネの匂いは「湿った段ボールの匂い」と言われており、一度嗅げばわかるというが、実際にはプロでなければ気付かないことも多いそうだ。私もわからん。
今回のBGM:喜歌劇「こうもり」より「シャンパンの歌」 ヨハン・シュトラウス2世作曲・カルロス・クライバー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
→ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの定番。いや、シャンパーニュは楽しく飲むもんだよ。乾杯!


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