171回 雪が降る


東京に住んでいた子供の頃は、雪は楽しいイベントだった。
ひと冬に数回降る雪は、見慣れた都会の風景を一変させる。真っ白に染まったいつもの街角は、どことなく不思議な明るさを放っていて、小学校の校庭では雪だるまや雪合戦といった特別な遊びができた。

などと悠長なことを言っていられたのは、普段冬に雪が降らず気温もあまり下がらない東京に住んでいたからであった。
現在住んでいる場所は、まぎれもない寒冷地である。一応雪はそれほど多くない方だ。太平洋側気候と日本海側気候の丁度境目になるので、冬は晴れて寒い日が多く、時折雪が積もることもある。
寒さは半端ではない。いまでは温暖化が進んでそこまで気温が下がることは滅多にないが、こちらに来てすぐの頃、朝ゴミ出しに行った時にダイヤモンドダストを目にした。朝日にキラキラと光るそれは大変きれいだったが、その時の気温はマイナス15℃であった。寒いというより痛い。
そこまででなくてもマイナスの日は多く、また最高気温がマイナスという真冬日もよくある。いずれにせよ、寒い。

それだけ気温が低いと、いったん雪が降るといつまでも溶けないのだ。
日中日が当たって表面が少しだけ溶けるのだが、夜になるとそれがまた凍る。雪のままならまだしも氷になると手に負えない。特にクルマの場合、スタッドレスタイヤだろうがチェーンを付けていようが、滑って止まらない。とにかくハンドルが全くコントロールできなくなるので、みんなスピードを落としてそうっと真っ直ぐ走る。
たまに恐れを知らない県外車が、つるつるに凍った道路で無防備にハンドルを切ってコントロールを失い、田圃に落ちているのを見かけるが、信州の冬をなめてはいけない。

降雪自体は少ないのだが、たまに物凄く降ることがあり、そういう時に限ってなにか起こる。
数年前、70cmの積雪になったことがあった。連れ合いが運転するクルマで帰る途中、家まで直線距離であと100m位の細い道で曲がった途端、新雪に突っ込んで動かなくなった。にっちもさっちもいかなくなるとはこういうことを言うのだろう。タイヤが新雪に嵌ってしまって、前後どちらにもスリップして動かないのだ。
とにかくこのままクルマを放って歩いて帰るわけにもいかないので、連れ合いと二人でなんとか抜け出せないかと、布をタイヤの下にかませたりもしたが動かない。その間にもどんどんどんどん雪は降り積もる。
仕方がないので、幸運にも積んであったスコップでクルマの周囲の雪を取り除くべく、黙々と掘り返す。寒い。冷たい。情けない。
周囲は林の中で、ぽつぽつと在る人家には明かりが灯っておらず、助けを求めることができない。雪を掘るスピードよりも積もるスピードの方が速く、埒が明かない。
その時道の後ろから除雪車が!天の助けと喜んだのもつかの間、なぜか10m程手前で引き返していくではないか。慌てて追いかけるも及ばず。遠ざかる除雪車を呆然と見送る間にも、雪は降り積もる。
結局周囲の雪を取り除いてなんとかバックで抜け出せたのは、3時間後のことであった。

実は世界有数の豪雪地帯が日本には多い。
豪雪地帯というのは通称ではなく、「豪雪地帯対策特別措置法」という法律に基づいて定められた区域のことである。世界的にみても、人口が多い場所でこれだけ雪が降る国は他には存在しない。面積では日本のほぼ50%である19万平キロメートル、人口でいうと総人口の約20%の2千万人が、豪雪地帯に住んでいる。
人口10万人以上の都市の年間積雪量及び降雪量の世界ランキングでは、上位は全て日本の都市が占めている。2020年度の統計では、1位が弘前市、2位が旭川市、3位が小樽市だそうだ。その他青森市や札幌市といった東北と北海道勢が多い。新潟も雪は沢山降るのだが、トータルではやはり北の地方の方が多くなるようだ。
ちなみに人口の少ない場所でいうと、アメリカワシントン州のベーカー山というリゾート地で30m近い積雪があったそうだが、これは単発である。毎年平均的に多い場所というと、青森県酸ヶ湯の17mというのが圧巻だ。

雪景色の中、ケープ付きのロングコートにボンネットというのは、なかなか少女性が高い格好である。
しかし実際問題それでは防寒として全く足りず、もこもこのダウンコートに耳当て付きのロシア帽で着膨れすることになる。子供か。
くれぐれも滑りやすい革底のパンプスなどではなく、凍った路面でも滑らないグリップ力の強いスノーブーツを着用するというものだ。
雪にも氷にもそれなりの装備が必要なのである。


登場した用語:寒冷地
→日本で販売されるクルマには、標準仕様と寒冷地仕様がある。自動車業界でいう「寒冷地」とはマイナス10℃以下になる地域を指し、この気温以下でも運転できるような仕様のクルマを寒冷地仕様という。寒冷地仕様の詳細はいろいろあるので割愛。
今回のBGM:「Sans toi ma mie」by Salvatore Adamo
→「ゆきがふる/あなたはこない」の歌詞で一斉を風靡した曲の作者と「サン・トワ・マミー」の作者が同じとは知らなかった。アダモはイタリア生まれのベルギー人で「雪が降る」は元々フランス語の歌。日本語訳詞は安井かずみ。

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