230回 春は曙


春をイメージする色といってまずはじめに浮かぶのは、何色だろう。
アンケート結果では、ピンク色が一番多かったそうだ。その次は黄色や緑色で、いずれも自然から浮かぶ印象が強い。ピンクは桜色というように桜の花の色から、黄色も菜の花やタンポポといった春の花に多い色からイメージされる。黄緑も若葉色と言われるように、新緑のイメージだ。
どの色も彩度が高い強い色調ではなく、どことなく優しげな薄めの色であることも重要なポイントである。春霞(いまでは花粉やPM2.5の印象がついてしまった)がかかる薄ぼんやりとした春の風景に寄り添った、いずれも穏やかで明るい色が、春の色なのである。

「青春、朱夏、白秋、玄冬」という言葉はご存知かと思う。古代中国の陰陽五行説の世界観から、人生を季節に喩えたものと言われている。
この中で「青春」だけは、日本語でもよく使われている単語だ。青い春とはよく言ったもので、青臭い未熟な若者の年代を指す。
日本語と同じく中国語でも「青」には緑も含まれる。そう考えると「青春」の青には、春のイメージ色である緑も入っていると思えてくる。因みに通常の中国語では、青には「藍」の漢字を充てるそうだ。
「朱夏」の夏が朱色(≒赤)というのは暑いということでまだわかるが、秋の白と冬の玄(≒黒)はあまり色のイメージが結びつかない。先程のアンケートでも、秋は紅葉のイメージで黄色やオレンジ色、冬は雪のイメージで白といった結果がみられた。
四季の移り変わりに応じた自然界の色の変化が、我々の意識の中に根強く反映されていると言えるだろう。

色が与える印象は、単に視覚的なものだけではない。もちろん自律神経に与える影響とかもあるのだが、文化や歴史といった背景によって色のイメージはかなり異なる。
青は日本では知的・誠実といった印象があり、世界的にみても国連の旗の色が青であるように、共通して好まれている色である。これは海や空から連想される色だからだろう。しかし一方では「ブルーになる」と言えば憂鬱のことであるし、「blue film」から連想される、性的な色というイメージも欧米では根強い。
赤は中国ではめでたい色で幸運を表すが、ケルト民族ではなんと死を意味するそうだ。おそらくこれは血が流れ出ることからのイメージだろう。欧米では赤というと歴史的に共産主義を指す。
黄は中国では皇帝の衣の色として高貴な色であったが、最近はイメージが随分低下しているらしい。欧米で黄色といえば、キリストを裏切ったユダの衣の色として、あまり良いイメージがない。
そして緑はアイルランドの国の象徴であったり、イスラム教でも真理を意味したりと良いイメージが多いのだが、西欧では毒をイメージすることもあるというから面白い。諸説あるが、死斑の色が緑色とか毒物が青緑色とかからか。
かくも色のイメージは一筋縄ではいかない。

医学部生の頃、解剖学を学ぶ学年は必ず慰霊祭に参加することが義務付けられていた。献体された大切なご遺体を解剖させていただくのだ。解剖学実習が終わったあと遺骨を遺族に返還する慰霊祭には、感謝の気持ちを込めて出席しなさいということである。
慰霊祭というのはいわば葬式なので、参列者は必然的に黒の礼服を着てくるようにと言われる。学生たちはなんとか黒のスーツなどをかき集めて着るわけで、広い会場はほぼ黒一色になる。
ここで「ほぼ」と書いたのには理由がある。解剖学教室に中国から来た留学生の女性ただ一人が、真っ白のスーツ姿だったのだ。実は中国では、白は喪の色である。葬式には白を着るのが常識なのだ。

そして調べてみると驚いたことに、日本でもつい最近まで喪服は白だった。
歴史上初めて喪服が登場したのは、奈良時代だそうだ。その後千年以上にわたって、庶民の喪服は白であった。一方上流階級では、当初は白かったが718年に天皇が薄墨色の麻の喪服を着たのがきっかけで、薄墨色の喪服が流行る。その後段々色が濃くなって、平安時代後期になると黒の喪服が着られるようになるが、室町時代になると再び白の喪服が主流になったとのこと。
時代は下り明治維新の1878年に大久保利通が暗殺される。その葬儀は諸外国からも注目を集めたため、明治政府は欧米諸国にならって喪服を黒に統一した。これをきっかけに上流階級の間では、黒の喪服が一般的となった。

しかしまだこの時点では、庶民の喪服は白が主流だったのだ。
その当時喪服は貸衣装屋で借りるというのが普通だった。それが第二次世界大戦が勃発し次第に戦死者が増えるに従って、喪服の需要が増大する。そうすると貸し借りの頻度が多くなるため、白の喪服は汚れが目立ってすぐ使えなくなってしまう。
貸衣装屋としては、汚れが目立たない黒の喪服の方が都合がいいのでそちらを多く揃えるようになり、庶民にも急激に黒の喪服が広まったと言われている。
喪服といえば黒と思い込んでいたが、長い伝統でもなんでもないつい最近からの慣習だったのだ。なんでも決めつけてしまう固定観念の危うさを、あの時の白い喪服から学んだことであった。

それでもやはりどうしても私にとって春のイメージは、薄紅色なのである。
寒冷地である当地では、若葉がいっせいに芽生えてくるのはもう初夏といっても良い5月初めなので、春にはまだ緑の印象が希薄だ。その中で山桜の花の白に近いような淡い薄紅色が、新しい季節の訪れを一番強く意識させる。
凡庸であってもいい。敢えて奇を衒わなくても良いではないか。
ひとそれぞれ、自分にとっての春の色を抱きながら、新しい季節に向かって歩き出そう。


登場した色:緑
→英語圏では嫉妬深いことを「green eyed」と言う。これはシェイクスピアの『ベニスの商人』と『オセロ』の中の台詞からとられている。西洋では昔からgreenは顔色が悪い状態を表現するのに使われた。病気や嫉妬は過剰の胆汁が原因とされたため、胆汁の緑色で表現したのだろう。シェイクスピアの影響力よ。
今回のBGM:「四季」by ピョートル・チャイコフスキー作曲 / ヴラディーミル・アシュケナージ演奏
→「「四季」といえばヴィヴァルディの弦楽曲が有名だが、こちらはロシアの12カ月をピアノで描写した作品集。2月は「謝肉祭」、3月は「ひばりの歌」、4月は「待雪草」。ロシアの春はまだ遠い。


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