263回 バナナ・ボート


このところよくバナナを食べている。
理由は思い出せないが、その前は随分長い間バナナを買っていなかった。おそらく桃や柑橘など他に夢中になる果物があったからだと思う。今年はあまり地元の桃の出来が良くなくて熱心に食べなかったこともあり、他に果物となったときにふと目に止まったのだ。
バナナを果物と言うのには、少々抵抗がある。何せ果物は「水菓子」と呼ばれる程、通常は水分が多いものだ。それなのにバナナは水気たっぷりとはいかず、どちらかといえばイモやカボチャのホクホクとした食感に近い。
実際バナナは、果物というより野菜と言った方が良いのである。

バナナの歴史は古い。
紀元前1万年から5千年の間(かなりアバウトだ)に、人類はバナナと出会った。本来原種のバナナの実には小豆大の種がびっしりと入っている。それがあるとき東南アジア地域で突然変異が起こり、種のないバナナが生まれた。今のバナナにも時折中心部に黒い点のようなものを見かけることがあるだろう。それがバナナの種の痕跡だ。
この種のないバナナの苗を栽培化したものが、現在のバナナの大元だと言われている。今食べられている品種の多くは、マレー半島原産の「ムサ・アクミナータ」とフィリピン原産の「ムサ・バビルシアーナ」の2種がもとにだと考えられているそうだ。栽培化されたバナナは、ミャンマーを経てインドに伝わり、紀元前2千年に海を渡ってマダガスカル島と東アフリカ大陸に西方伝播した。陸上を伝わったのは、紀元前4百年ごろアレキサンダー大王がインドに遠征したときと言われているので、それより先にバナナは海を渡ってアフリカに行ったのだ。
そこからはかなり時間がかかっている。西アフリカに到達したのは15世紀、そしてコロンブスがアメリカ大陸を発見した16世紀に、フランス人の神父がカナリア諸島からバナナの苗をハイチに持ち込んだ。それが気候風土に合っていたのだろう、良く繁殖してキューバ、メキシコ、ブラジルなどでも盛んに栽培されるようになった。

さてここで、種のないバナナがどうして栽培できるのかということに触れる。
そもそもバナナは木ではない、バショウ科バショウ属の多年草の草なのである。和名は「実芭蕉」と言う。日本ではバショウは観賞用の庭木だったので、かの松尾芭蕉も自分の家の庭にバショウを植えていたことから「芭蕉庵」と名付け、ペンネームにもしたらしい。
木になるものを果物と呼ぶので、バナナは野菜と考えても間違いではない。10mの高さにも成長する草というのも凄いが、とにかく草なので幹のように見える部分は「仮茎」と呼ばれ、上の方にはやわらかい葉が重なり合っている。成長して半年程すると花が咲くが、花は苞に包まれており、その苞がめくれると実が現れる。1本の仮茎には10~15房のバナナの実がなるが、開花は一度きりでその後は枯れてしまうそうだ。
種のないバナナは突然変異で染色体が3倍体になっている。3倍体だと細胞分裂の際に減数分裂が正常に行われないため種ができないので、栽培する際には茎の根っこの脇から生えてくる吸芽を切り離して植え替えて育てる。

そうやって栽培されたバナナは、19世紀にアメリカの資本が入ってから大規模なプランテーションで作られるようになった。赤道を挟んで南北緯度30度の間を「バナナ・ベルト」と呼ぶが、長らく世界3大バナナ会社、つまりユナイテッド・フルーツ社(チキータ)、キャッスル&クック社(ドール)、デルモンテ社が寡占状態で輸出を行っていた。
日本にバナナが入ってきたのは、これもお馴染み織田信長に宣教師が献上したのが最初である。信長、どれほど新しもの好きだったんだ。
本格的な輸入(移入)は、1903年(明治36年)に当時日本領であった台湾から始まった。その後戦時中は一時姿を消したが、1950年(昭和25年)に台湾との通商協定が結ばれ、再び市場に現れる。当時はバナナは高級品だ。現在の金額に換算すると1房が7500円になるという。その頃はバナナといえば台湾バナナ(北蕉種)だったのだ。
1963年(昭和38年)にバナナの輸入が自由化されると、バナナブームが起こる。輸入先は台湾産からエクアドル産になり、その後はフィリピン産が現在に至るまでトップを続けている。そのフィリピン産のバナナは、上記の3大企業に日系の住友商事(グレイシオ)を加えた4大多国籍企業がほぼ独占している。しかし劣悪な労働条件や大規模なプランテーションによる環境破壊が問題なるようになってから、少しずつではあるがNGOなどを介して有機栽培によって生産されたバナナも輸入されるようになってきた。

バナナは種を作らないので、言ってみれば同一品種なら全てがクローンである。遺伝子的に同一ということは多様性を持たないため、何かあれば致命的になる。
1900年代前半まで、バナナはグロ・ミシェルという品種が主流であった。それがフザリウムというカビの一種が引き起こすパナマ病という病気が発生して、瞬く間にこの品種を壊滅させてしまった。そのためこの病気に強いキャベンディッシュという品種がとって代わり、現在我々が目にするのはほぼこのキャンディッシュ種である。
しかし1990年頃から変異体による新パナマ病が蔓延し始めており、キャベンディッシュも風前の灯なのだ。バナナを食べられなくなる日も10年以内に訪れると言われていたが、まだバナナは食べられている。新パナマ病に抵抗を持つ品種の開発も進んでいるらしいので、今後に期待しよう。

エデンの園でアダムとイヴが食べた「善悪を知る知恵の木」の実は、リンゴではなくバナナだという説がある。
そもそも旧約聖書の創世記には何の果物かという記載はない。ラテン語やギリシャ語に翻訳する際に誤訳したという説もあるが、リンゴ自体は寒冷な中央アジア原産でエデンの園があったとされるペルシャ沿岸では育たないので、リンゴであった可能性は薄い。どうやらリンゴ説は、1667年に発表されたミルトンの「失楽園」から広まったようだ。
そこで知恵の実はイチジクだったのではないかという説が生まれた。ほら、2人はイチジクの葉っぱで局部を隠したことだし。また古代の中東地域ではバナナは「イチジク」と呼ばれ、アレキサンダー大王もインド遠征でバナナを見たとき「イチジク」と記したとされる。それなら今我々が見るイチジクは何と言われていたのか不思議。ヘブライ語の聖書でも禁断の果実は「エヴァのイチジク」と書かれているそうだ。
ということで、知恵の実=バナナ説が生まれた。アラビア語で書かれたコーランに出てくる楽園の禁断の果実(talh)はバナナと考えられているというし、もうバナナでいいんじゃないかな。

日本人1世帯あたりのバナナ消費量は、1999年にリンゴを抜いて2位に、2004年にはミカンを抜いて1位となった。この際バナナは果物ではないとかは横に置いておく。
バナナ・ダイエットが流行ったり、カリウムが多いから塩分の排出に良いとか、セロトニンの元になるトリプトファンが含まれるとか、単に皮を抜くのが簡単で手軽に食べられて腹持ちが良いとか、いろいろ理由はあるだろうが、ただ単に美味しいから食べるというのでいいだろう。
冷凍しても揚げても乾燥しても食べられる、稀有な存在であるバナナ。
いまのところはまだ手の届く価格であるので、エデンの園に思いを馳せながら、毎日1本食べることを心がけたい。


登場し(なかっ)たフレーズ:バナナの皮
→古今東西ネタにされてきたバナナの皮。果皮の内側には潤滑効果を持つ多量の植物油を含んでいるためだが、この研究で日本人の研究者が2014年のイグノーベル賞を受賞している。
今回のBGM:「とんでったバナナ」 作詞・片岡輝/作曲・桜井純/歌唱・服部恭子
→「バナナン バナナン バナナ」のフレーズが頭をぐるぐるするこの歌。1962年(昭和37年)にNHKの「うたのえほん」という番組で紹介されたものだが、今に至るまで子供達に大人気である。


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