第60回 ちいさなとびら


本好きなら誰でも忘れられない絵本というものがあると思う。
ストーリーも絵も全部覚えているのに、それでも繰り返し繰り返しワクワクしながらページをめくった経験。何度も何度も読んでボロボロになった絵本は、確かに自分を形成する一部分となっている。

バージニア・リー・バートンという米国の絵本作家をご存知だろうか。
どちらかというと寡作であったこの作家の、『ちいさいおうち』や『せいめいのれきし』といった絵本に親しまれた方もいると思う。この2冊は『ノンちゃん雲に乗る』で有名な児童文学作家の石井桃子の訳である。平易で読みやすい文章は、字を読み慣れない子供の目にも優しくわかりやすかった。
『ちいさなおうち』では一軒の小さな家が長い時間の中で辿る運命が、暖かい色使いで穏やかに描かれている。豊かな自然の中に建つ一軒の小さな家は、その家に住む人々とともに四季を巡り時代を経て、やがて都市化の波が押し寄せ周囲に次々と高いビルが立ち並ぶ中で住む人もなく取り残されてゆく。高いビルに囲まれて居心地悪そうにポツンと建っている家の心細さを、読み手に自分のことのように感じさせる表現は見事だ。最後にまた小さな家は広々とした土地に移され、そこで新たな人生(家生?)を始めることになるのだが、新しいものだけを良しとする当時の時代の風潮に疑問を投げかける先見の明を感じさせる。
『ちいさなおうち』が出版されたのは1942年だが、もう1冊の『せいめいのれきし』はそれから20年後の1962年に出されている。タイトル通り、生命の誕生から現在までを描いた『せいめいのれきし』は、今思えば前々回書いた私の恐竜好きにも少なからぬ影響を与えていたことは間違いない。地球誕生から46億年の生命の歴史を、劇場に上映される演劇仕立てで辿るお話は、そのやわらかで可愛らしい筆致とは別に、作者が8年もの間博物館に通って完成させたという綿密なリサーチに基づくものであり、決して子供向けだからといって手を抜いていない。だからといって科学の解説書のように単に情報を面白み無く羅列するのではなく、実に楽しく興味を逸らさない工夫がされているところが、今尚この絵本が愛されている理由の一つだろう。

作者のバージニア・リー・バートンは、1909年にマサチューセッツ州で生まれカリフォルニア美術学校で美術を学んだ。結婚後長男のために最初の絵本『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』を、第2作『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』を次男のために描いたそうだが、第4作となる『ちいさなおうち』は夫のために描かれたという。
彼女の絵本に出てくる機関車や家は、日本語だとわかりにくいが原文ではみんな女性名もしくは「her」で書かれている。まだアメリカでも女性が社会で活躍することが珍しかった時代に、積極的に地元の主婦たちと共にテキスタイルデザインのグループを作ったバージニア。そのフォーリーコープデザイナーズ活動は、自然に根ざした生活スタイルとして現在に引き継がれている。バージニア・リー・バートンは片時もタバコとコーヒーを離さず、59歳で肺癌のため亡くなった。もっと長生きしていたらどんな作品を生み出したのか見てみたかったが、自分に忠実に生きたところが彼女らしいと言えるだろう。
いまでもこの2冊の絵本は自分にとって大事な原点となっている。
絵本も本も新しい世界への道を開いてくれる小さな扉なのだ。


登場した翻訳家:石井桃子
→日本の女性翻訳家・児童文学作家の草分けのような人だが、かの太宰治に好意を寄せられていたというのが意外。それを太宰の死後井伏鱒二から聞かされた時「私なら、太宰さん殺しませんよ」と言ったというのがいい話だ。
今回のBGM:「Connie Francis Eight Classic Albums」by Connie Francis
→1950〜60年代アメリカングラフティの頃のアメリカを象徴する歌手。日本でも数々の楽曲がカバーされて大ヒットしたが、かの大瀧詠一は松田聖子を「日本のコニー・フランシス」と考えていたそうだ。

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