226回 今夜、すべての純喫茶で


パフェというものを最後にいつ食べたのか、思い出せない。
10代20代の頃は本当にパフェが好きだった。メニューにあればとりあえず食べる。どんなにお腹いっぱいでも、最後はパフェ。
居酒屋で散々飲んだ後でも、パフェは食べる。しめパフェなるものが札幌のすすきので流行っているらしいが、当然である。飲んだらパフェ。そういう人が多いので、昔から居酒屋のメニューには、必ずと言って良いほどパフェがあったのだろう。

パフェという単語はもともとフランス語だ。英語でもフランス語のまま「parfait」と書くが、フランス語読みではパルフェになる。
「parfait」の意味は「完全な」、つまりパーフェクトなデザートということである。ただフランスのパルフェは、日本のパフェとは異なり、「卵黄を砂糖やクリームと共に炊き上げ型に入れて冷やしたアイスクリームのような冷菓に、ソースやフルーツを添えたもの」だそうだ。材料は似ているが、形が全然違う。
日本のパフェといえば、背の高いグラスにアイスクリームや生クリームが層状に盛られた上に、フルーツが盛られてチョコレートソースなどがかけられ、中にシリアルが入っていることもある盛り沢山なデザートだ。パフェと並んで昭和の時代に栄華を誇ったプリンアラモードは、その名の通りプリンが主体であると同時に、まず横長の器に盛られる点が異なる。
パフェは、パフェグラスという専用のガラス器があるくらいなので、パフェをパフェたらしめているものは、この足付きの縦長の食器といっても良いくらいである。アメリカ版パフェと言うべきサンデーという代物もあるが、こちらはサンデーグラスというあまり丈の高くない広口の器に盛られる。
やはりパフェのアイデンティティは、このパフェグラスにあると言えるだろう。

一般的にパフェを食べる場所と言うと、まず喫茶店が思い浮かぶ。カフェではない、あくまで喫茶店である。
最近は純喫茶ブームだそうだ。以前から純喫茶の「純」がどういう意味か疑問に思っていたので、調べてみた。
喫茶店の始まりは、明治中頃の1888年(明治21年)に鄭永慶が東京の上野黒門町に開店した「可否茶館」である。この店はビリヤードなどの娯楽品や書籍、シャワー室などが備えられた、今で言えば漫画喫茶やインターネットカフェみたいなものだったらしい。しかし経営が奮わず、1892年に幕を下ろす。
その後しばらく経った1911年(明治44年)、銀座に相次いで「カフェー・プランタン」「カフェー・パウリスタ」「カフェー・ライオン」などの店が開店して、それぞれ独自色を出していくと共に、一般大衆にも手が届く値段のコーヒーを提供して人気が出る。

昭和に入ると、飲食が主ではなく酒類も出して女給のサービスが主体となったスナックやキャバクラのような風俗店的なカフェーも増えて問題になったため、1933年(昭和8年)「特殊飲食店取締規則」が施行されてそのような店は規制の対象となった。こちらの喫茶店を「特殊喫茶」と呼んだので、あくまでもコーヒーや軽食を出す店の方を「純喫茶」と呼ぶようになったとのこと。「純」は純粋な喫茶店という意味だったのだ。
戦後になると「音楽系喫茶」と呼ばれる一群、シャンソン喫茶、ジャズ喫茶、ロック喫茶、名曲喫茶、そして歌声喫茶が誕生するが、これらも目的は音楽を聴いたり歌ったりすることであり、飲食は二の次だ。
純喫茶だけが、本来の喫茶店と言えるのである。

そもそも日本に初めて現れたパフェは1893年(明治26年)、かの鹿鳴館で天皇誕生日を祝う晩餐会に登場した「Parfait FUJIYAMA」だという。ただしこれは今のパフェではなく、フランスのパルフェの製法で富士山型に成形されて皿に盛られたものだそうだ。
初めて店でパフェを提供したのは、やはり喫茶店だった。1910年(明治43年)に横浜元町に不二家の一号店が開店する。その後創業者の藤井林右衛門はアメリカへ洋菓子の視察に行き、帰国後の1914年(大正3年)に本町店の隣に喫茶店を開店。そこでパフェが提供されたという記録が残っている。
銀座の千疋屋も1938年(昭和13年)頃、現在のパフェグラスのような器でパフェを出していたとか、新宿の高野にもパフェはあったとか言われるが、当時はかなり高級で一部の店だけのメニューであったようだ。
1960年(昭和35年)頃から、コーヒーの輸入自由化をきっかけとして、全国で純喫茶が流行する。それと同時にパフェも全国に広がっていった。何度も書くが、やはり純喫茶にパフェは欠かせない存在だったのだ。
驚くべきことに、その当時の段階で既に、東京合羽橋ではパフェの食品サンプルがあったそうだ。

いまでは純喫茶だけでなく、ファミレスから居酒屋に至るまで、パフェは欠かせないデザートとなっている。
種類も様々で、王道のチョコバナナパフェから、季節のフルーツを使った数千円もする高価なパフェまで大人気である。中には150種類以上を取り揃える喫茶店もあるそうだ。中身のバリエーションだけでなく、その大きさ・容量で圧倒するパフェもあり、SNSで時々話題になっている。

書いているうちに久しぶりにパフェが食べたくなって困るのだが、ここは王道のチョコバナナパフェを所望したい。
コーンフレークは少なめで。


登場したデザート:プリンアラモード
→発祥は横浜の老舗、ホテルニューグランドにある「ザ・カフェ」。終戦後ここに宿泊していたアメリカ人将校夫人たちを喜ばせようと、当時のパティシエが考案したそうだ。バニラアイス、カスタードプリン、5種類のフルーツと生クリームという内容は、当時から変わっていない。ちなみにここは、ドリアとスパゲッティナポリタン(ケチャップを使ったナポリタンは同じく横浜のセンターグリル発祥)の発祥の地でもある。どれも喫茶店に欠かせないメニューとなっていることは、ご存知の通り。
今回のBGM:「4本のフルートのための組曲《フルーツ・パフェ》」伊藤康英作曲
→静岡フルートカルテット”フェリーチェ"の委託により、2002年に作曲された。フルートアンサンブルの人気レパートリー。


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