260回 編む人
10月になった途端、急激に気温が下がった。
確か長期予報では10月まで残暑が続くとか言っていたはずだが、おかしい。早く涼しくなるようにとは願っていたが、寒くなっていいとは許していない。もう少し身体が慣れるまで待っていてほしかった。
半袖Tシャツなどもってのほか(もとより半袖を着ることはあまりない)で、長袖Tシャツでも寒いので厚手のスウェットを着ているが、それでも寒い。
こうなるともうそろそろセーターでもいいのではないかと思うようになってきた。
セーターはニットである。
ではニットとはなにか。ニットというのは、英語で「編む」という意味の「knit」という動詞がカタカナになったものである。そこから「編み物や編んで作られた製品」を指すようになった。
実は1970年代までニットは「メリヤス」と呼ばれていた。これはスペイン語のメディアスかポルトガル語のメイアスから来ていると言われており、いずれも意味は「靴下」である。そう、安土桃山時代南蛮貿易で日本に最初に伝わったニットは、靴下だったのだ。
ここで以前靴下について書いた回を思い出してほしい。かの徳川光圀(水戸黄門ですね)も愛用した靴下。水戸家の菩提寺からは彼の靴下が7足も発見されたそうだから、寺に残される程靴下を愛用していたに違いない。日本に現存する最古の靴下はこの光圀公のものである。
手編みの技法は当初遊女に伝わり、江戸時代になると町人へ、そして武士の内職として行われるようになって、足袋や手袋、印籠下げなど様々なものが人々の生活に取り入れられたとのこと。
因みにメリヤスは「莫大小」と書く。これは大きさがよくわからなかったからという説と伸縮性があるのでサイズの融通が利くからという説があるが、とにかくこの「莫大小」、知らなければ絶対に読めない。
靴下が輸入されるまで、日本には織り物しか存在しなかった。ちょっと意外なのだが、編み物はなかったのである。
織り物というのは、経糸(縦糸)と緯糸(横糸)を直角に組織して布にしたものを指す。それに対して編み物は、糸や紐状のものを1本ないし数本使って、絡ませたり格子状に組んだり結んで布状にしたものである。
編み物はループが連続して繋がっている構造なので、伸縮性や柔軟性があり、また多くの隙間があるため空気を含み保温性に長けているという利点がある。しかし一方では、ほつれやすく型崩れもしやすいという欠点も持っている。また縫製や裁断も難しい。
編み物に一番よく使われてきたのは、羊毛である。しかし日本には羊がいなかった。麻や綿や絹は伸縮性があまりないため、編みづらい。わざわざ編み物にしなくても、それらは織り物とした方が使いやすい。日本になぜ編り物がなかったのかという最大の原因は、羊がいなかったからということだろう。
これも靴下の回に書いたが、紀元前1世紀のエジプトでは既に靴下が編まれていたそうだ。やはり古代エジプト恐るべし。3世紀のシリアの遺跡からは編み物に関する資料の断片が見つかっている。本格的な手編みの技術を完成させたのはアラビアの遊牧民族で、8世紀にイスラム文化と共に刺繍や編み物がヨーロッパに伝わったと言われている。ヨーロッパは寒いので、暖かい羊毛でできた編み物は重宝されたのだ。
11世紀シチリアで編み物の技術を覚えたノルマン人が、イギリスに帰ってガンジー島やアラン諸島に伝えたのがセーターの起源と言われる。フィッシャーマンズセーター(含アランセーター)と呼ばれる独特な模様がざっくりと編み込まれた厚手のセーターが有名だが、脱脂していない羊毛を使った防水性と防寒性に優れたこのセーターは、漁師の妻たちによって編まれていた。それぞれ異なるその編み模様は、海難事故にあった時に個人識別ができるようにという悲壮な理由があったという。
かつて刺繍と編み物は女性の嗜みとされた。かのマリー・アントワネットも手仕事を好み、囚われの身となってからも家族のために編物をする手を止めなかったそうだ。
さてこの編物だが、手編みは私にとって一種の魔法のように思えて仕方がない。
10代の頃に一度だけマフラーを編んだことがある。太い毛糸で四苦八苦して編んだそれは、編み目も不揃いで到底他人にお見せできるような出来ではなかったが、それでも完成した時は嬉しかった。
そもそも何で編物をしようと思ったかというと、橋本治がきっかけである。橋本治といえば、小説・評論・イラストと多彩な才能を発揮した奇才だが、実は彼は編み物の達人だったのだ。
「男の編み物 橋本治の手トリ足トリ」という本には、彼がデザインして製図を引き精密に編み込まれた凄まじい作品の数々が掲載されている。山口百恵、デヴィッド・ボウイ、ジュリーといった人物や、ガキデカといった漫画の主人公の顔が、編み物で見事に表現されている様は本当に見事なのだ。
そしてこの本に従って実際に編んでみれば、その通りの作品が出来上がる(はず)というのも凄い。凄いのだが、当時の私にはそこまでの編物に対する情熱がなかったので、彼の軽妙な筆致に酔っただけで終わってしまった。
19世紀には自動編み機が登場して産業革命と共に大量生産が可能になった。日本でも明治時代に国産の編み機の製造に成功してから、メリヤス産業は輸出の大きな一角を占めるようになる。その後メリヤスという言葉は肌着にだけ残り、もっと包括的に編み物製品を表すニットという言葉に置き換わった。
ニットは編み物と言っても服にするには縫製という過程が必要であった。それが1995年に和歌山県の島精機製造所が、世界初の無縫製の全自動ニット編み機「完全無縫製型(ホールガーメント)コンピューター横編み機」を開発し、1本の編み糸から1着のニットを丸ごと編み上げることができるようになった。縫い目がないので着心地が良く、縫い代がないためカットロスも出ない。言うなれば一筆書きで1着のニットが出来上がるのだ。
進化し続けるホールガーメントでは50万通りの編み方ができるとのこと、そのうちオーダーメイドも可能になりそうだ。
最先端の技術で精巧に編まれたニット。不揃いな手編みのダサセーター。
どちらも着れば暖かいのは同じである。
やはりもうそろそろセーターを出してこよう。
登場したアイテム:セーター
→1891年アメリカのフットボールチームのコーチが、選手に汗をかかせて減量させるため頭から被るタイプのニットを着せた。「汗 sweat」をかく「人 er」ということで、このプルオーバータイプのニットが「sweater」となったそうだ。一方同じ19世紀、クリミア戦争の極寒の戦場で戦う兵士はセーターを着ていたが、そのため負傷した兵士の服を脱がすのが大変であった。そこでイギリスの陸軍中将であったカーディガン伯爵は、セーターの前面をあらかじめ切り開いてボタンで留めておくという方法を考案した。これがカーディガンの起源である。
今回のBGM:「あなた」 by 小坂明子
→言わずと知れた200万枚の大ヒット曲。歌詞の「そして私はレースを編むのよ」のレースはかぎ針編みだろうが、ボビンレースの場合編み物というより織り物である。小坂明子は作曲家やヴォイストレーナーとして活躍しており、かつてバンダイ版のミュージカル「美少女戦士セーラームーン」の作曲と音楽監督を務め、13年間で全456曲を作曲した。
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