第133回 君よ知るや南の国


そろそろ柑橘の季節が終わってしまう。
いやもちろんこれから夏にかけてだって、八朔や文旦のような柑橘は控えている。しかしやはり柑橘といってまず思い浮かぶのは温州蜜柑であり、冬中お世話になったこの果物の存在感が気温が上がるにつれ薄れていくと、徐々に柑橘から気持ちが離れてゆくことは確かだ。

炬燵に蜜柑という、ザ・ニッポンの冬という光景に馴染みが深い人も多いだろう。柑橘類の産地は暖かい地方なので、実際は炬燵は必須ではない。どうしても蜜柑は炬燵で食べなければいけないものではないのだが、なんとなく風景としてはしっくりくるのだ。
ハウス栽培で1年中出回っているとはいえ、蜜柑の旬は冬だ。10月から年明けまで、極早生、早生、中生、晩生と品種も移り変わっていく。
一般に蜜柑と呼ばれている果物は、温州蜜柑である。この名前は中国の浙江省温州から持ってきた種を蒔いたのが由来であるが、温州からそのまま伝来したわけではなく日本原産だ。
江戸時代までは、蜜柑といえば小ぶりの紀州蜜柑であった。小蜜柑と呼ばれるこちらも浙江省が元だが、紀州で栽培され「Citrus kinokuni」という学名が付いた独自の種になった。この紀州蜜柑は、かの紀伊国屋文左衛門が江戸に運搬して大儲けする元となったと言われている。
温州蜜柑は、明治時代以降柑橘界を席巻するようになった。薩摩地方から米国に輸出されたため、英語でも「Satsuma」と呼ばれているというのは有名だろう。

ところで最近夏蜜柑をあまり見かけないと思わないだろうか。
甘夏はある。果物売り場でも沢山目にする。しかしかつて昭和の家庭で夏に食卓に出てきた、砂糖をかけないと食べられないほど酸っぱかったあの夏蜜柑。実際問題、現在夏蜜柑は絶滅の危機に瀕していると言ってもよい。
夏蜜柑は1700年頃日本で発生した古い柑橘で、その原樹は国の天然記念物に指定されている。元々は夏橙(または夏代々)と呼ばれたが、明治時代に商品名として夏蜜柑になったそうだ。
夏蜜柑はとにかく酸味が強い。実が成ったばかりだとあまりに酸っぱいので、お酢の代用品や観賞用に使われたという。夏に実り晩秋に色付くもまだ早い。冬を越し春から夏までそのまま木で成らせて、ようやく食べられる甘さになる。
我々の舌が酸味よりも甘味を求めるようになり、夏蜜柑は次第に人気がなくなってしまう。昭和10年頃に酸が抜けるのが早い品種として発見され、昭和25年に品種登録されたた甘夏(正式名称は川野夏橙)が、春から初夏を彩る柑橘として現在は主流を占めている。
ちなみに日本で初めて夏蜜柑でマーマレードを作ったのは、福沢諭吉と言われているが、本当だろうか。

柑橘の香りというと、少女というより少年のイメージが強いかもしれない。
実際フレグランスに於いても、シトラスノートと呼ばれる柑橘系の香りは、メンズかユニセックス、もしくは最初に揮発するトップノートに多く使用されている。
柑橘の香り成分の9割はD-リモネンと呼ばれる精油であるが、その他に品種に特有の香りを決める特香成分と言われるものがわずかに含まれている。グレープフルーツなら1-p-メンテン-8-チナール、マンダリン系ではN-メチルアントラニル酸メタル、ネーブルなどはヌートカンという成分は、量としては少なくとも強烈にその品種特有の香りを印象付ける。
リモネンは、疲労軽減・意欲発動の上昇・ストレス軽減などの効果があると言われている。実際に気分をリフレッシュしたりやる気を出したりといった作用があるため、柑橘の香りは活動的な少年を思い浮かべやすいのだと思う。翻ってレディスのフレグランスにその効果を利用すると、活発でパワフルな少女をイメージさせる素晴らしい作品が出来上がる。

かつて四国を訪れた際に、民家の庭先に大きな柑橘がたわわに実っているのを見て感激した。明るい黄色のその果物は、如何にも気候の温暖さを体現しており、標高が高く寒冷な私が現在住んでいる土地では、絶対に見られない風景であったからだ。
「君よ知るや南の国」ではないが、陽光きらめく地方でその陽の光を集めて実る柑橘に思いを馳せたい。

最後になるが、一番好きな柑橘は不知火(商標登録名はデコポン)である。
10キロ単位で箱買いするほど好き。


登場した学名:「Citrus ◯◯」
→温州蜜柑は「Citrus unshiu」、夏蜜柑は「Citrus natsudaidai」など、日本語がそのまま付けられているものが多い。
今回のBGM:「君よ知るや南の国」 アンブローズ・トマ作曲 三浦環歌唱
→ゲーテの小説『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を基に脚色された歌劇「ミニョン」の中のアリア。日本ではかつて藤原歌劇団が上映して大ヒットした。天地真理がミュージカルで初主演して歌った歌唱は、なかなか味わい深い。

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