第99回 もしもピアノが弾けたなら


子供の習い事といって、何をすぐに思い浮かべるだろうか。
昔なら習字にそろばんといったところだろうが、ここはやはりピアノが鉄板だろう。ああ私も習っていたという人には、どこまで弾けるようになってやめてしまったかを聞いてみたい。
ちなみに私は「バッハ・インベンション」の途中で挫折した。

御多分に洩れず、幼稚園の時に同級生たちの間で習い事が流行りだした。それに触発されたのは確かであるが、「誰々ちゃんがやってるから」という理由は親には通用しない。なぜそれをやりたいのかを(幼稚園児であるから拙いながらも)言語化し、やるからには途中でやめたりしないと誓い、やっと習わせてもらえることになった。当時はバレエも結構人気だったのだが、運動系に興味がなく音楽が好きということもあり、ピアノを選んだ。
親が探してきたピアノの先生は、もともと声楽家であったため、なぜか一緒に歌も習うことになった。ピアノの発表会は、もちろんピアノも披露するのだが、メインイベントは歌の方であった。「白雪姫と7人の小人」や「くるみ割り人形」などの演目を、毎年かなり練習させられた。
ピアノの先生は迫力のあるアルトの声楽家だったので、「白雪姫と7人の小人」では悪役の女王を演じ、声楽家仲間のソプラノの女性が白雪姫を演じた。7人の小人はお教室の子供たちの中から上手い子たちが選ばれ、その他は合唱に回された。私は合唱隊だったが、あまり目立たないので練習も大変でなくラッキーと密かに思ったものだ。
次の年の「くるみ割り人形」の時は「白雪姫」と異なり各場面ごとに見せ場があるので、言ってみればみんなが主役のようなものであった。ここで私は雪の精を割り当てられた。ご存知の方もいると思うが、この「くるみ割り人形」は組曲なので、演奏する際にはほとんど曲間をおかずにつなげていく。雪の精は、前の場面が終わって短い間奏のあとすぐに歌い始めなければならない。練習の時にはいつもタイミングがずれて1拍遅れてしまうので、猛練習をさせられた。
ついに発表会本番が訪れ、雪の精の出番がやってきた。自信満々で舞台に出た私は、見事に1拍出遅れたまま歌い続けた。すぐに伴奏をしてくれているピアニストが気づき一呼吸手を止めて歌に合わせてくれたのだが、聞いている観客にしてみればピアニストが間違えたように聞こえただろう。大変申し訳ないことをした。
最後まで「何も間違ってませんよ」という顔でしれっと歌った私が、袖に引っ込んでから先生に滅茶苦茶怒られたことは言うまでもない。

中学に入って丁度教則本が「バッハ・インベンション」になったあたりで、ピアノからエレクトーンに教室を変えてしまった。理由はよく覚えていないが、もっとポピュラーな楽曲を弾いてみたかったのかもしれないし、単に新しもの好きだっただけかもしれない。
実際エレクトーンでは、古今東西の映画音楽やヒット曲を弾くことができたので楽しかったが、どうしても即興演奏が苦手で講師の資格を取るには至らなかった。
そのエレクトーンも高校卒業するあたりで受験勉強を理由にやめてしまった。楽譜というのは一種の言語なので、外国語と同様しばらく見ないと意味がわからなくなる。もうかなり長い間楽譜を見て演奏する機会などないため、今ではきっと楽譜を見てもろくに読めないだろう。

小学校時代に習っていた習字もそろばんも、まったく上達しなかった。
中には習い事からプロになったという人もいるだろうが、それはごく稀な例か最初から強い目的意識があったということであり、子供の頃の習い事を今でも続けているという人は少ないと思われる。
沢山の有名な音楽家を輩出した才能教育研究会(スズキ・メソード)の創始者、鈴木鎮一氏にこういう逸話がある。ある時子供にヴァイオリンを習わせていた母親が鈴木氏に「この子はものになりますか?」と尋ねたそうだ。それに対して彼は「ひとはものにはなりません」と答えたという。
最近はピアノ教室に通う年配者が増えており、それはそれは楽しんで弾いているとのこと。いくつになっても新しいことを習うのは楽しいものだ。
ものになるかとか身につくかとかそういうことではない。
楽しいことも辛いこともひっくるめて、誰かに何かを習うという経験それ自体が、習い事の醍醐味なのだと思う。


登場した教則本「バッハ・インベンション」
→正式な名は「インベンションとシンフォニア」。バッハが息子の練習のために作曲したそうで、現在でも目的にあった使い方をされているわけだ。
今回のBGM:「ビリー・ヴォーン・ベストセレクション」by ビリー・ヴォーン楽団
→誰もが一度は耳にしたことがある「浪路はるかに」。元祖イージーリスニングである。エレクトーンで弾いた。

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