第54回 虫愛づる姫君


人は何歳から昆虫を忌むべき存在と見るようになるのだろう。幼い頃は、虫取りをしたり虫を飼ったりするのが好きだったという人も多い。それがいつしか虫を見るだけで怖気付き、はたまた大声で叫んで逃げ出すほど嫌うようになってしまうのは、女性に多いように思う。
もちろん虫の種類によっては、最初から嫌われているものもいるのは間違いない。蚊やゴキブリなどの害虫と呼ばれるもの以外にも、毛虫や芋虫は苦手、蜘蛛(虫ではないが)なんて見ただけで身震いする、なんて人も結構見かける。
ということで、今回は昆虫についての話になりますので、ご容赦を。

幼い頃はよく縁日で虫かごを買ってもらった。中に入れるのは、鈴虫や松虫といった有名どころだけでなく、ウマオイ(スイッチョ)や邯鄲(カンタン)といったレアな虫であることもあった。いずれも妙なる音色で鳴く虫たちだが、ご存知通り虫の音を愛でる文化は世界的にみても稀である。
かつて「角田理論」というものがあり、日本人の聴覚処理の特殊性を論じて有名になった。その中の日本語の特徴により虫の音を言語と同じ左脳で処理するため、虫の音を美しいと感じるのだ、という言説が流布したことがある。一旦この理論は否定されたのだが、最近になってまた再検証が行われているそうだ。
現在世界的に観られるようになった日本のアニメで、夏の風景を描写する際に欠かせない蝉の声、我々なら「ああ、夏だ、暑いね」と感覚的に理解するであろうその描写が、外国の人が見るとなんでいきなりホワイトノイズが入ってきたんだろうと疑問に思うそうだ。これを聞いた時は結構衝撃だった。当たり前と思っているものこそ、その文化的背景を知らなければ理解できないものなのだと思い知らされた気分だった。

単に形を愛でるのであれば、これは古今東西あまり変わりはない。カブトムシやクワガタは、どこでも子供達に大人気だ。
今住んでいるところがクヌギ林の中ということもあり、数年前まで夏の夜にはカブトムシが窓にばんばん飛んでぶつかってきた。最近はそれもほとんど見られなくなってしまって寂しいのだが、それでも夏の早朝に家の外に出ると、カブトムシの匂い(飼ったことがある人はわかると思う)がして、まだどこかにいるんだなと安心する。
田舎に住むということは、すなわち虫と共存するということに等しい。共存といえば聞こえはいいが、実際は戦いである。
地球は虫の王国であり、ちょっと油断するとあっという間に侵食されてしまう。特に梅雨の直前、雨が降る前日は要注意だ。ありとあらゆる隙間から、いっせいに蟻が侵入してくる。蟻というのは、全く同じ「蟻」という形を保ちながら、数ミリ程の極小のものから数センチの巨大なものまで、ご丁寧に大中小と揃っている。朝起きると夏休みの蟻の観察キットよろしく、壁や床に蟻が行列をなしているのを発見する。猫は、蟻は酸っぱくて美味しくないし噛まれると嫌なのだろう、ただじっとその行列を見ているだけで手を出さない。こちらは慌てて掃除機で吸って外に捨ててくるのだが、賽の河原のように捨てても捨ててもまた入ってくるので、なかなか疲弊する。ただ面白いことに蟻が入ってくるのはほぼその時期だけなので、こちらも学習して事前に家の周囲に蟻避けを撒いておいたりと工夫するのだが、それでもどこからともなく侵入した敵との戦いは毎年勃発する。

虫愛づる姫君ではないが、そこにいるだけならそれほど嫌わなくても良いのではないかと思う。これほど違う外見をしているにもかかわらず、ショウジョウバエとヒトの遺伝子はかなりの割合で共通している。実際人の遺伝病の研究にはショウジョウバエが大活躍しているし、発生の仕組みを解き明かす上でもこの虫は重要な役目を負っている。
昆虫と脊椎動物という進化の上で遠い関係にある生物でも、案外共通の仕組みを沢山持っているのだ。
蝶々だけでなくその他の昆虫も、少女にはぜひ愛でてもらおう。


登場した昆虫(ではない):蜘蛛
→これがまたバラエティ豊かな形をしていて飽きない。小さな虫を捕ってくれるので、うちでは重宝して大事に見守っている。
今回のBGM:「13 PEBBLES」by ザ・クロマニヨンズ
→「雷雨決行」は恐れ(虫も)を知らぬ子供のテーマソングです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?