177回 白髪三千丈
父方の祖母は80歳を過ぎた頃から、それは見事な金髪になった。
もちろんブリーチしたとかではない。そんなファンキーな人ではなかった。特になにもしなかったのに、白髪ではなく金髪のように髪の色が抜けたのだ。周囲からはよく「きれいに染まってますね」などと言われていたが、染めていたわけではなく自然に、全ての髪がプラチナブロンドのような色になっていた。
それを見てやがて年を取ればこういう風になるだろうとわくわくしていた私だったが、普通の白髪にしかならず、非常に落胆した。
近年白髪のイメージはだいぶ改善している。
グレイヘアなどと呼ばれて、白髪混じりの髪でも白髪染めなどはせず、敢えてそのままにしておくのが格好良いという風潮も出てきた。確かに年相応に無理はせずというのも良いが、好きでそうしているのなら真っ黒に染めても白髪のままでも、それは他人がとやかく言うことではない。
私は早く全部白髪にならないかなと思っているのだが、意外とまだ黒い部分が多い。現在は、以前ランダムにブリーチしたところは淡い金髪、青いヘナで染めて緑色になったのが薄れて微かに残っている部分もあり、元からの白髪と黒髪も混じりと、やろうとしてもできないような複雑な髪の色になっている。印象として一番近いのは、白い毛が混じったサビ猫か。
白髪は真っ白なので、色素は全くないと思われるだろう。
実は白髪にもメラニンという色素は残っている。メラニンが多いほど色が黒くなるのは、髪も皮膚も同様だ。メラニンはアミノ酸の一種のチロシンから生成される。チロシンにチロシナーゼをはじめ何種類もの酵素が働き、次々に異なる化合物に変化して最後にメラニンになる。
この過程はメラノサイトという色素細胞で行われるが、30歳を過ぎた頃からメラノサイトの働きが低下してメラニンが作られなくなり、毛母細胞にメラニンが渡されず、白髪になる。いつから白髪ができるかは、遺伝や加齢だけでなく、環境や生活習慣によっても変わってくる。
白髪は抜いても同じ毛穴からはまた白髪が生えるので、抜かない方が良い。無理に抜くと毛根を傷めて、毛髪自体が生えてこないことになりかねない。
法医学教室でDNA鑑定を行っていた時、このメラニンには苦労させられた。メラニンはPCRでのDNAの増幅を強力に阻害するのである。なので当時髪の毛の毛幹からのDNA鑑定は難しいとされていた。
毛根には細胞自体が豊富にあるので増幅しやすいが、毛幹部は殆どがケラチンなどのタンパク質でできており、DNAはわずかに中心の毛髄にあるかどうかというわずかな量しかない。そのためただでさえ増幅は困難な上に、メラニンが邪魔をする。
それをなんとかするために、あの手この手でメラニンを除去する方法を考えたものだ。その際白髪からも結構なメラニンが取れ、白髪であってもメラニンは残存しているということを知った。
大部分のメラニンはメラノサイトで生成されるが、ごく一部網膜色素上皮細胞で作られるメラニンも存在する。
余談であるが、私の東京理科大学の卒論は、この網膜色素上皮細胞を培養してチロシナーゼを阻害する物質の効果をみるものだった。網膜色素上皮は網膜の外側、脈絡膜との間に挟まれた単細胞層で、網膜の視細胞に酸素や栄養を運ぶ重要な働きを持つ。
最近iPS細胞を使って、加齢黄斑変性の治療を行うことが試みられている。加齢黄斑変性では、本来ないはずの新生血管が網膜下で出血を起こすことにより、著しい視力低下を来す。新生血管を抜去すると、一緒に網膜色素上皮細胞も除去されてしまうが、その場合iPS細胞から網膜色素上皮細胞をシート状に分化させたものを移植する技術の開発が進んでいる。
今後は失明から救われる患者さんも多くなることだろう。
黒髪をピンクとかブルーとかのビビッドな色に染めるには、まずブリーチをして色を抜かないといけない。ブリーチしただけの金髪の場合も、髪が伸びてくれば所謂「プリン」状態となる。
その点白髪は楽だ。そのままで目的の色に染まってくれる。
なぜ栗色とかではなくピンクやブルーといった突飛な色なのだと思われるだろうが、服と同じく、年をとるほどきれいな色がよく似合うようになるのだ。かえって真っ黒に白髪染めをするよりも明るく軽くなるので、溌剌とした印象になる。
一時高齢の女性はなぜ髪をパープルに染めるのかということが話題になったが、その方が美しいからに決まっている。職場でも70代の女性が、ショートカットを瑞々しいワカメのようなグリーンに染めていて、なかなか格好良い。
白髪を楽しむ。そのままでもよし、染めるもよし。
髪が薄くなったならそれはそれで、いまはウィッグも種類が豊富だ。
いくつになっても、髪もコーディネートの一環としてお洒落をするというものである。
登場した用語:卒論
→言わずと知れた卒業論文。自分が書いたものながら、タイトルは長過ぎて忘れた。
今回のBGM:「千のナイフ」by 坂本龍一
→言わずと知れたデビュー作。あれから43年以上経って、教授は見事な白髪になったね。
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