第158回 カーテンコール


あなたの家の窓には何が掛かっているだろうか。
何がというのはつまり、カーテンか否かということである。
うちは日本家屋なのでカーテンなるものはない、障子だという人もいるかもしれないが、いまや純然たる日本家屋に住んでいる人の方が少ないだろうから、大なり小なり普通の窓には何か掛かっているだろう。

カーテンの歴史は古代エジプトに遡る。と書いて思うのだが、西洋の文化のルーツはほぼ全部古代エジプトと言っておけばいいのでは。
閑話休題。古代エジプトでは動物の皮を入り口に吊るしていたそうだ。風や日差しを遮るという役割なんだろうが、入り口に吊るす時点でそれはカーテンとは異なる気がする。カーテンではなく、それは暖簾だ。古代エジプトにも布はあるのでなぜそれを使わなかったのか、この説には疑問を呈したい。
カーテンの語源はラテン語で覆うという意味の「Cortina」と言われている。古代ローマでは、カーテンは天蓋付きベッドを覆うためのものであった。西欧では、壁の一部を凹ませたアルコーブと呼ばれる空間にベッドを設える仕様があり、そこと室内を区切るためにカーテンが用いられた。長い間、カーテンは窓ではなくベッドに付随するものだったのだ。
15世紀になるとガラス製造の技術が発達して、建築物の窓にガラスが使われるようになる。当時の窓ガラスは貴重なものなので、貴族の間でカーテンで窓を飾るのが流行した。カーテン紐やタッセルが現れたのもこの頃である。
17世紀のバロック様式の中でカーテンは更に豪華で華美になり、18世紀のロココ様式では床を引きずるようなゆったりしたスタイルになったという。

一方日本では平安時代に、几帳という可動式間仕切りの衝立や竹製のすだれである御簾、壁に掛けられた絹織物の壁代といったものが使われていた。
それが武家時代になると、今につながる障子や襖となるのだが、日本家屋には所謂西洋の窓にあたるものがないので、長らく窓の付属品たるカーテンは存在しなかった。
カーテンが日本に入ってきたのは江戸時代初期と言われている。外国人との交易を行う商館などで使われていたのだろう。
現在のカーテンが実際に使われるようになったのは幕末から明治時代にかけての頃である。当時は輸入品であったため「窓掛け」と呼ばれて高価なものだったそうだ。その後国産品も生産され始めるが、大正期にあってもまだカーテンは高級品であった。
日本に於いてカーテンが一気に一般家庭に普及したのは、戦後の経済成長時代のことである。都市部の人口集中による住宅不足を解消するために建てられた団地、これが新しいライフスタイルを提示した。畳に卓袱台の生活ではなく、テーブルと椅子が置いてある部屋の窓にはカーテンが揺れるようになったのだ。
1970年代になると、ドレープカーテンとレースのカーテンの二重吊りが定着する。この時期フォークシンガーとして一斉を風靡したビリー・バンバンにも「レースのカーテン」という歌があるくらい、それは新しい生活様式を象徴するものであったのだと思われる。

ところでカーテンを掛けているという家は、どれくらいの頻度でそれを洗濯しているのだろうか。
カーテンは結構汚れる。日にも焼ける。しかしこれを洗濯するとなるとかなりの大仕事だ。普通は洗うとしても自宅ではなくクリーニングに出すだろう。ドレープカーテンは洗えないが、レースのカーテンの方は比較的簡単に洗えるので、家で頻繁に洗うという人もいるかもしれない。合理的なやり方だ。
一時期ブラインドが流行ったことがあったが、このブラインドというものは異常に掃除に手がかかる。そのくせ静電気で埃がつきやすく、なかなか手に負えなくなりカーテンに戻したという家もあると思う。

カーテンをはじめとする、ブラインドやロールスクリーンといった窓を覆う役割の物体はまとめて、ウインドウトリートメントと呼ばれるらしい。
いまではそれらも、遮光・消臭・抗菌といった様々な機能性加工が施されているものが多くなっている。また単に窓を覆うためではなく、インテリアのコーディネートのひとつとして大事な役割を担うようにもなった。

カーテンは締め切るためにあるのではなく、開けてこそのもの。
カーテンも窓も思い切りよく開け放して深呼吸したい。換気大事。


登場したフォークシンガー:ビリー・バンバン
→ボーカルの菅原進が2020年からアイマスの楽曲をYouTubeやニコ動に投稿して話題になり、アニソンカバー音源を配信するまでになっている。
今回のBGM:「魔法の天使クリィミーマミ SONG BOOK ・カーテンコール」by 太田貴子
→魔法少女もののアニメの嚆矢となった作品で、楽曲の良さが光る。昭和が色濃く残る当時、マミの家にもレースのカーテンがあったに違いない。

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