213回 信太の森


子供の頃から、おいなりさんが好きだ。
おいなりさん、食べ物のいなり寿司のことである。
助六と呼ばれるいなり寿司と巻き寿司の詰め合わせでは、かっぱ巻きやかんぴょう巻きを尻目に、まずおいなりさんに箸をのばす。お揚げからじゅわと染み出す甘辛い煮汁は、キツネならずとも夢中になるのはよくわかる。

そもそも何故「いなり寿司」という名前がついているのか。
ここで「一般社団法人全日本いなり寿司協会」(という団体があるのだ)に掲載されている、いなり寿司の歴史を紐解いてみよう。
はじめていなり寿司が書物に登場するのは、江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』という本だそうだ。当時の風俗などを紹介したこの本の中に、安価で手軽な江戸庶民の食べ物として紹介されている。当時は木桶に入れて天秤棒を振り担いで売るスタイルだったようだが、幕末になると店舗で売られるようになり大いに繁盛したとのこと。
いなり寿司の名前の由来は諸説あるが、いなり=稲荷といえばキツネ。ただし稲荷神社自体をキツネの神様と考えてはいけない。
本来の稲荷神社の主神は、「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」という五穀豊穣の女神である。スサノオの娘であるこの女神、別名を「御饌津神(ミケツノカミ)」と言い、そこにキツネの古い呼び方である「ケツ」が重なり「三狐神」となって、ウカノミタマの使いがキツネとされたと言われている。
それだけだとなんだか語呂合わせのようだが、キツネ自体も穀物を食べるネズミを捕食してくれるありがたい存在であったり、その尾の形や色が稲穂が実った様子に似ていることなどから、平安時代から信仰の対象であった。そこに稲荷信仰が習合して、稲荷神の使いがキツネになったのだろう。

いなり寿司は、甘辛く煮た油揚げを袋状に開いて、中に酢飯を詰めたものである。
キツネがこれを好むかといえばだいぶ怪しいが、昔はネズミを揚げたものを供えていたそうで、それなら喜んで食べるかもしれない。仏教が伝来し殺生を禁じたことで、ネズミの天ぷらが精進料理の油揚げになったと言われている。
いなり寿司といえば俵型と思ってたが、驚いたことに関西では三角型だそうだ。そればかりか、中身の酢飯にニンジンやシイタケなどの具材を混ぜた五目だと言う。なかなか豪華だ。
日本全国にいなり寿司はあるが、なかでも珍しいのは埼玉県熊谷市妻沼地区のもので、細長い棒状である。江戸時代のいなり寿司はこのような棒状で、注文があると切って提供していたという話もあるので、こちらの方が原型をとどめているのかもしれない。
名古屋では「あぶらげずし」と呼ばれて、底を閉じないのが特徴だそうだ。

日本三大稲荷にはいろんなバリエーションがあるが、必ず入るのは総本宮である京都の伏見稲荷大社である。
全国に3万社あると言われる稲荷神社の元締めであり、赤い鳥居が無限に続くかのような「千本鳥居」の光景は、とても神秘的だ。710年前後に創建されたとされる大変古い神社で、『枕草子』にも清少納言が詣でたと書かれている。
三大稲荷あとの二つのうちのひとつと言われる愛知県の豊川稲荷、実はここ本来は豊川閣妙厳寺という曹洞宗の寺院である。本尊は千手観音なのだが、境内に鎮守として祀られている「豊川吒枳尼真天」の稲穂を担いだ姿から、「豊川稲荷」の通称で呼ばれることになった。
「吒枳尼天(ダキニテン)」とは梵語の「ダーキニー」であり、「荼枳尼」とも書かれる。元々インドの土着宗教の地母神であったものが、仏教に取り入れられた。またベンガル地方の女神であったカーリーの侍女とも言われたため、カーリーがシヴァの妃となったのち、ダーキニーもヒンドゥー教ではシヴァの眷属とされた。
仏教では当初、羅刹女・夜叉として恐れられたが、大黒天に調伏され帰依したと言われたことで信仰の対象となる。ダーキニーの使いはジャッカルで、中国では「夜干(ヤカン)」と訳された。中国にも日本にもジャッカルはいないので、使いは姿がよく似たキツネに変わったようだ。
半裸でジャッカルにまたがり虚空を駆けていたのが、白虎に乗る天女となったのだから、ダーキニーも随分大人しくなったものである。

生まれ育った上野の不忍池のほとりに、花園稲荷神社という小さな神社がある。隣には五條天神社があり、境内を分け合って並んでいる。
この花園稲荷神社の中にはさらに、穴稲荷神社(正式には忍岡稲荷神社)という本宮がある。通称「穴のいなり」と呼ばれるこの場所が子供の頃から大好きだった。洞窟のように薄暗い崖と建物の間の狭い通路の先に、網がかかった穴があり、そのかたわらには祠が建っている。
かつて寛永寺の拡張工事によって上野の森が伐採されてしまったため、棲んでいたキツネたちは棲家を失った。キツネの長だった弥左衛門狐は天海僧正に嘆願し、天海は崖にキツネ穴を掘り祠を建てて弥左衛門狐を祀ったという。
江戸末期幕末に上野は彰義隊と官軍との戦場となった。穴稲荷神社に立て籠った彰義隊に撃ち込まれた大砲によって、穴稲荷神社は大破した。その5年後の明治6年、穴稲荷神社は花園稲荷神社と名をあらためて再建されている。
弥左衛門狐がいたというその穴を覗くと、いつの時代にも人間の都合で行われてきた環境破壊と争い事について考えさせられる。

今年は、野球関連でキツネダンスが流行ったり、那須の殺生石が割れたりとキツネにまつわる話題が記憶に残る。メタルの神「キツネ様」を掲げるBABYMETALは、仮想空間METALVERSEでの復元を宣言した。
景気も人心も勢いを無くしている今、五穀豊穣・商売繁盛の願いを込めて、おいなりさんをいただこうと思う。
因みに東京下町のおいなりさんは、舌が痺れるほど甘辛いです。


登場した石:殺生石
→九尾の狐の化身である玉藻前が、退治され石に姿を変えたという伝説。数年前からヒビは入っていたらしいが、今年3月に真っ二つに割れていることが確認された。これが吉兆か凶兆か、意見が分かれるところである。
今回のBGM:「生きていてもいいですか」by 中島みゆき
→「キツネ狩りの歌」に漂う、中島みゆきならではの凄味よ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?