第119回 野に咲く花のように


道端に生えている草の名前を尋ねられたら、あなたはすぐに答えられるだろうか。
いや、ただの雑草でしょ?と言う人もいるかもしれない。確かに関心がなければみんな「草」で終わってしまうのだが、そこでちょっと興味を持ってみてほしい。
実際世の中には「名もなき草」などというものは存在しない。人間というものは、全てに名を付けなければ気が済まない存在なのである。

18世紀に「分類学の父」と称されるカール・フォン・リンネによって体系化された二名法によって、あまねく地球上の全ての生物は学名という名前を付けられることになった。
この二名法自体はそのその前から既にあったそうだが、当時勝手に名付けられて混乱の極みにあった名前を、この方法で学名に統一したのがこのリンネである。学名とは、世界共通に生物の種類及び分類に付けられるラテン語の名称のことで、動物、藻類・菌類・植物、細菌・古細菌の3つに大別された分野ごとに命名規約が定められている。
学名は、どの言語に由来する言葉が入っていようとも、ラテン語の文法に則った表記で記載される。日本産のトキは絶滅してしまったが、その学名「Nipponia nippon」に、かつてこの国に広く存在した美しい羽根を持つこの鳥の姿を偲ぶことができる。

普段我々は名前を言うときに、学名で呼ぶことはまずないだろう。学名は分類学上では大きな意味を持つが、日常生活では通称を用いるのが普通である。「もうTaraxacum officinaleは咲いてる?」と言う人は余程のマニアか専門家であり、普通の会話では「もうタンポポは咲いてる?」だ。ちなみにこのときわざわざ「セイヨウタンポポ」とも言わない。
道端の草や木の名前について、学名はともかくその通称さえも驚くほど知らないことに愕然とする。いつも見慣れている雑草の名前をあらためて尋ねられても、わからないことの方が多い。
最近はスマホのカメラをかざせば植物の名前を教えてくれるアプリもあるが、図鑑を引くという行為は知識の幅を広げてくれるという醍醐味がある。そのアプリ、モフモフの犬や猫にかざすと全部「ガマ」になってしまうというのはご愛嬌。確かにガマの穂はモフモフだ。


子供の頃図鑑に夢中になったという人は意外に多いのではないか。昆虫の図鑑をいつも持ち歩いて熱心に虫を探していたとかいう話はよく聞く。
私はひかりのくにという出版社から出ていた「こどものずかん7 のやまのくさき」という図鑑が大好きだった。名前の通り、掲載されているのはどこにでもあるような雑草と呼ばれる植物が多い。着彩された植物画にひらがなで名前が記されている。いまあらためてその本を見てみると、植物は単に並んでいるわけではなく、花が咲く順に環境別に分けてあり、またその中でもマメ科やキク科というように分類されている。大きさも比較できるようにできるだけ実際の縮尺に近づけてあるなど、子供用だからといって決して手を抜いていない。
欄外には個々の植物のより詳しい知識が書かれていたり、花の構造の違いや葉の付き方、植物の生活史や人間との共生関係についてまで言及され、その内容の豊富さに驚く。それも子供に興味を持たせるように工夫された図や文章なのでとてもわかりやすく、大人が読んでも十分楽しいのだ。
ここに登場する”雑草”の中で、どれだけの種を今も見ることができるだろう。カラスノエンドウやナズナは路端で見かけることはあるが、ワレモコウはあまり目にしたことがない。オオバコやドクダミはしぶとく生き残っている。私のお気に入りはキツネノボタンだったが、どこかで会えるだろうか。

環境が変化すれば、そこに生存できる生物の種類も変わってくる。適者生存という進化の法則があるが、ぬくぬくとした環境で育てられた栽培種ではない、厳しい環境を生き抜いた野生種の草たちは、きっと今でも我々の生活のすぐそばでしっかりと生えているに違いない。

温室に咲く花のように繊細な少女も良いが、私は踏まれても抜かれてもしぶとくたくましく繁茂する雑草のような少女を推したい。


登場した雑草:キツネノボタン
→学名「Ranunculus silerifolius」、キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草。ラヌンクリンという成分を含む有毒植物だそうだが、知らずに触っていたぞ。図鑑の欄外にも書いてあるのに、ちゃんと読め当時の自分。
今回のBGM:「夢の轍」by さだまさし
→「前夜(桃花鳥(ニッポニア・ニッポン))」が投げかける問いは、今尚いや今だからこそ胸に刺さる。


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