第105回 カレーの王女さま


カレーの具というと、何を思い浮かべるだろうか。
給食や学食のカレーにごろごろと入っていた、ジャガイモやニンジンを思い出す人も多いかもしれない。以前少し言及したことがあるが、芋類と豆類が苦手である。なので我が家のカレーにはジャガイモは入らず、日本のカレーとしては少々イレギュラーだ。
季節により家庭により、様々な具を入れて愛されている日本料理「カレーライス」。ラーメンと並び、換骨奪胎されてこの国に根付いた代表的な料理と言えるだろう。

ご存知かと思うが、インドには本来カレーという料理はない。
今では日本人の旅行者がインドに行ってカレーを注文しても、それらしいものが出てくるらしいが、インドに於いてはカレーという言葉自体がないのだ。タミル語でスープや具を意味する「kari」が英語でcurryになったという説がもっともらしいが、その他にもヒンディー語の香り高いものを意味する「turcarii」からとか、なかにはボンベイにいた辛いもの好きのスコットランド人のカリーさんにちなんで、などという眉唾の説まであるくらいだ。

30年程前、14日間にわたってインドを旅行したことがある。その頃大学生だったのだが、インド哲学のゼミの先生に率いられて行くというコアな旅であった。一昼夜寝台列車に揺られて、デカン高原を千キロ以上移動するという稀有な体験をしながら、先生の留学先であったというアーメダバードという海に近い都市を訪れたのは良い思い出だ。
実はデリーに着いた初日から既に、カレーという料理は存在しない旨、その先生からレクチャーを受けていた。ではカレーはないのかというと、私から見れば全部カレーでいいのではという印象であった。野菜も肉もよく煮込まれていて、書き方は悪いがどろどろであり、概ね辛い。もちろんそれぞれの料理にはちゃんと名前がついているのだが、食形態がペースト状であるものが多いのだ。果物などそのまま食べた方が食感が良いのにと思うものでも、ペースト状になって出てくる。
上記のアーメダバードに滞在中、日本で言うところの明治村のような現地の施設を訪れた。まるで盆踊りのような民族舞踊に懐かしさを覚えたりしたが、蝋燭の灯りだけで供される現地の伝統料理は、なかなかハードルが高かった。なにせ暗い。自分がどういうものを食べているのかが見えないほど、暗い。デジカメもない時代、フィルムカメラで撮った写真を帰国して現像してはじめて、自分がどういうものを食べているのかがわかったという次第だ。
大きなバナナの葉の上に次々と、柄杓でひとすくいずつ汲まれた料理が乗せられていく。この描写からおわかりになるように、全部ペースト状である。外国人向けの料理とは異なり、地方のそれも伝統料理であるのでかなりクセが強い味で、見えないばかりでなく食べてもなんだかよくわからない。最後に出たこれもペースト状のデザートが、スイカであることだけはわかった。でもスイカはペースト状でなく、そのまま食べたい。

インドの料理が辛いと書いたが、実はインドに唐辛子が入ってきたのは16世紀だそうだ。つい最近である。ではそれまで辛さはなんの香辛料によって出されていたかと言うと、胡椒とマスタードなのだ。
17世紀インドは英国の植民地だったため、英国人の船乗りが香辛料を用いてシチュー的なものを作ったのが、英国式カレーの始まりと言われている。本国でも人気となったが、複雑なスパイスの調合は困難であった。そこでC&B社があらかじめ調合した「カレーパウダー」を発売し、大人気となる。
このC&Bカレーパウダーこそ、明治から始まる日本のカレーのルーツである。日本のカレーのとろみは小麦粉を用いたものだが、これは英国由来であり、インドのカレー(といえるもの)とは異なる。この小麦粉のとろみが米飯と非常に相性が良く、かくしてカレーライスが誕生する。
その後もカレーうどんやカレーパンなど独自のバリエーションを広げ、カレーは日本で愛される料理として不動の位置を築いてきた。ちなみにレトルトカレーは日本のオリジナルである。

タイカレーも最近ではすっかり一般的になった。そういえば日本の大手カレーチェーンが、インドに出店するという話も耳にした。
その国の、その家庭の、その人のカレーが成り立つのが、カレーという料理の懐の深さだと思う。
何を入れても、どんな食べ方をしても、カレーはカレーである。
定義を逸脱し続けるその在り方を見習いたい。


登場した料理:カレー
→インド哲学の先生の友人のシタール奏者が来日した時、彼の妻と一緒にカレーを作ったのだが、彼女は水を一滴も使わず、サラダ油2本を鍋にドボドボと入れた。インドの10代の華奢な少女が、年を経て迫力のある体型になる理由がわかった気がした。
今回のBGM:「All Things Must Pass」by George Harrison
→ジョージ・ハリソンがラヴィ・シャンカルにシタールを習っていたというのは有名な話。インド旅行の折、久しぶりに米国から帰国したラヴィ・シャンカルのライヴをデリーで観ることができた。

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