第76回 やわらかな居場所


幼い頃お気に入りのぬいぐるみと一緒に寝ていたという人は多いだろう。
もちろん大人になっても枕の脇にはぬいぐるみが欠かせないというのは、男女問わず大いにありだ。外見の愛らしさだけでなく柔らかい手触りやファーの匂いは、安心感と幸せを与えてくれる。
なにかを「可愛がれる」というのは、少女性の大事な要素だと思う。実際の生き物でなくても、ぬいぐるみというある意味概念の存在をあたかも生きているように可愛がれる。それはなかなかに高度な行為なのではないか。

かくいう私もぬいぐるみがいまだに大好きである。
どちらかというとデフォルメされたものよりリアルな造形を好むので、家中絶滅危惧種を集めた動物園のようになっている。
物心つく前から人形よりぬいぐるみを好んでいた子供だった。その記憶の中で、特別に可愛がっていたぬいぐるみが2体ある。
ひとつは小学校低学年の頃、両親に連れられてジャイアントパンダのドキュメンタリー映画を観に行った際に上映劇場の売店で売っていた、中国製の小ぶりのパンダのぬいぐるみである。当時は上野動物園にカンカンとランランがやってくる前で、パンダブームはまだそれほどではなかった。なので日本製のパンダのぬいぐるみはまだ一般的には売られてなかったのだ。
その売店に置いてあったぬいぐるみは、羊毛製で詰め物も硬く(シュタイフっぽいと言えばおわかりになるかも)、ポーズもWWFのマークのようにリアルであった。有り体に言って決して可愛いというものではなかったように思うのだが、なぜかそれがとても気に入った私は両親にねだって買ってもらった。わざわざ奥から全ての在庫を持って来させて顔を見比べて買ったそのぬいぐるみは、その後長い間ぬいぐるみ達の頂点に君臨した。
10代の終わり頃、銀座の博品館で1体のキツネのぬいぐるみに出会った。博品館はぬいぐるみの品揃えが大変充実しているので眺めているだけでも楽しいのだが、この時は一目惚れだった。寝そべったポーズで造形も大きさもかなりリアルなそのキツネはとても抱き心地が良く、その後大学受験に失敗して浪人生になった時に随分慰めてくれたものだ。

世界のぬいぐるみ界(というものがあるかは知らんが)には数多くの伝説的なぬいぐるみや逸話がある。テディベア誕生の秘話やシュタイフ社の歴史など、有名どころはここに書かなくてもいいだろう。
1970年代に米国人女性のバーバラ・アイゼンバーグは、幼い息子のためにクマのぬいぐるみを作り始めた。それはその後ノース・アメリカン・ベア社となり、そこから1983年に世界中を旅するクマのファミリー「VanderBear Family」が生まれる。中でも5人(匹?)家族の末娘のマフィーは衣装持ちで、着せ替えのできるドレスのラインナップはもちろん、季節毎に発売される様々な物語の主人公に扮した衣装がゴージャスでとても楽しかった。
このマフィーのぬいぐるみ、なぜか当時はヤナセが日本代理店となって発売していた。あのメルセデスベンツのヤナセである。ショールームにクルマと並んでマフィーがちょこんと飾られている姿は、なかなかにシュールで面白かった。きっと販売員もどうやって売ればいいか悩んだことだろう。
このマフィー、なんといってもキャッチフレーズがいい。「Life is One Big Dress-Up」である。非常に親近感を感じるクマである。

ぬいぐるみは単に可愛がるだけではなく、芸を教えることができる。と言うと殆どの方は「?」となるだろうが、我が家では一時期ぬいぐるみに芸をさせて遊ぶことが流行っていたのだ。といってもぬいぐるみは自分からは動けないので、こちらが動かして遊んでいるだけであるが。
芸といってもたわいもないことで、あまりにもたわいもないため他人に披露しても全く理解されなかった。高度に抽象化された至芸なのにと我々は憤慨したのだが、まあわからないのが普通の感覚である。
埃は付くしハウスダストの元にはなるし、幼稚だと呆れられたとしても、ぬいぐるみは大切な友人だ。
可愛がるという感性を忘れない限り、これからもずっと。


登場した店:銀座博品館
→いまや深海生物から恐竜まで、あるとあらゆる生物(以外も)のぬいぐるみに出会える夢のような場所である。
今回のBGM:「JCJC」by たんきゅん
→”女子中学生”という設定の、まゆたんと郷拓郎のユニット。「サボッタージュ」にあふれる切ない明るさはあの日の放課後の景色だろうか。


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