第238回 表裏一体


心身症とはよく言ったものである。
心と身体は切り離せるものではない。心がダメージを受ければ、少なからず身体にもダメージは現れる。ストレスを受けて傷付いた心を放っておくと、蔑ろにされた痛みは身体を通じて悲鳴をあげる。
身体の痛みの奥にある本当の原因が心にあることに気付かなければ、痛みは良くならない。
そもそもなぜ「身体」を「からだ」と読むのか。「体」は物理的な意味での頭から爪先までの全体を指すため、動物に対しても使われる。それに対して「身」には精神や心といった意味もあるので、「身体」は人間のからだに関してのみ用いられる言葉なのである。
心身症は、心と、心が宿っている体と、その双方が互いに影響を及ぼしあっている状態なのだ。

5年程前のこと、突然歩けなくなった。
思えばその前から予兆はあったのだ。長く座った後に立つと、右足に激痛が走り足を伸ばすことができない。その時はしばらく足を揉んだりゆっくり曲げ伸ばしをしたりすると、何事もなかったかのように痛みがなくなるため、一時的なものだろうとたかをくくっていた。
その痛みが徐々に頻繁に起きるようになり、ついには何をしても治らなくなってしまった。足を曲げている分には全く痛みはないのである。少しでも伸ばそうとすると、股関節辺りから膝下にかけて激烈な痛みが走り悶絶する。右の大腿の前面が硬く緊張して、そのせいで膝蓋骨がまるでロックされたように動かない。右足が伸びないので立とうとしても不自然な姿勢になり、腰痛も悪化する。
整形外科を受診すると、はじめは股関節症を疑われた。通常のレントゲン検査では特に異常と診断される程の所見は見つからなかったので、今度はMRI検査で精査することになった。しかしその結果でも、股関節自体にはそれ程の痛みを引き起こすような異常は見つからなかった。

ずっと痛いわけではなく、座っていれば痛くない。いや、大腿表面の違和感というか痺れのようなものはあるのだが、随時痛いわけではない。
それでも立った瞬間に崩折れる程の痛みが出現するため、常に立つ時は緊張してそうっと足を伸ばそうとするようになった。奇跡的に痛みが出ないこともあり、そうすると普通に歩行できる。しかし徐々に毎回立つ度に痛みが出るようになってからは、日常生活にも多大な支障を来すようになってしまった。
その頃には、右足を庇ってあまり歩かなくなっていたので、目で見てわかるくらい右大腿が細くなっていた上に、大腿の筋肉が強く収縮しているため、右側の股関節の位置が上がって不自然な姿勢にならざるを得なかった。
鎮痛剤の内服でも注射でも何も効果はなく、かと言って外科的な処置を施すような異常はみられない。毎日「痛い、痛い」と言うしかなく、泣けた。

整形外科のDr.にもうこれはリハビリで治すしかないと言われ、そのクリニックの理学療法士の元でのリハビリが始まった。
ガチガチに固まった大腿の筋肉を丁寧にほぐしてもらい、少しずつ少しずつ過緊張が解けていく。どうやら座っている時に右大腿骨頭が後ろにずれることがきっかけになるらしいと気づき、椅子に座る時の姿勢も骨盤後傾にならないように工夫して気を付ける。
それでも少し良くなってはまた症状が出たりを繰り返し、結局2年近くかかってやっとほぼ痛みが出ることなく歩けるようになった。
激痛の原因はどうやら、大腿筋の過緊張により大腿神経が絞扼されることで起こっていた神経痛らしいと、自分でもいろいろ調べて理解している。

さてそこで心身症だ。
そもそもなぜそんな歩けなくなるほどの筋肉の過緊張が起こったのか。
実は症状が現れる前に、いくつかの多大なストレスが重なってかなり精神的に疲弊していたのである。思えば昔から精神的にタフな分、そのツケが身体に現れることが多かった。痛みが出ざるを得ない程になる前に、もっと自分の辛さに気付いてあげれば良かったのだ。
リハビリの過程で、筋肉のみならず、自分自身で心も解きほぐしていった。そして、あの時本当に私は辛かったのだなとあらためて意識することで、心の緊張も解けていったのだと思う。

いまでも立って歩き出す時は少し身構えてしまう。ごくたまにストレスが強まるような出来事があると、右足の激痛が再燃することもある。
そうした時は、そうそうあれが辛かったんだよねと意識の表面に取り出して、心を労わることにしている。
心も身体も、合わせて自分なのだ。
どちらの声にも耳を傾けてあげなければ。


登場した検査:MRI
→受けたことがある人はおわかりだと思うが、物凄い轟音である。「カン!カン!カン!」というような金属的な音が大音量で絶え間なく鳴り響く。爆音で聴くインダストリアル・ミュージック。耳を守るためにヘッドフォンを装着させられるのだが、そこからはなんとも長閑な「オーバー・ザ・レインボー」のオルゴールが流れてくる。ギャップが凄い。
今回のBGM:「武満徹へのオマージュ/森のなかで」by 荘村清志
→武満徹がポピュラーソングを編曲した「ギターのための12の歌」の中に、「オーバー・ザ・レインボー」が入っている。ロマンティックなアレンジとは裏腹に、なかなかの難曲のようだ。


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