第87回 グッドバイ・ハイヒール


もう何年もヒールの高い靴を履いていない。
10年くらい前に自分の中でヒールのブームが来て、少しずつ高いヒールを試していったことがある。最初はすぐに足が痛くなったが、徐々に足が慣れていき、ヒールの高さ9センチまで履くことができるようになった。
9センチヒールといえば、一応ハイヒールと言ってもいいだろう(ハイヒールの定義は7センチ以上とのことなので)。もちろん長時間は履いていられないが、格好良く歩ける程度には慣れた。
もう一段階高くできるか、というところで、ヒールとは別の理由で足を痛めて、実質的に高いヒール靴は履けなくなってしまった。
その後5センチを超えるヒールを履いたことがない。

足が一番美しく見えるヒールの高さは11センチだという説がある。
実際クリスチャン・ルブタンやジミー・チュウ、マノロ・ブラニクというトップブランドの靴には、11センチのハイヒールが目立つ。芸術的なそれらの靴のヒールは、単に高さがあるだけではなく、細い。ピンヒールやスティレットヒールと呼ばれるそのような踵は、もはや歩くためのものではない。
ハイヒールの発祥には諸説あるが、ルイ14世が愛用したというのは本当らしい。彼が履いていたのはそれほど高いヒールではないが、それでも労働をしなければならない一般庶民には縁遠い、歩くためではない靴であったのは間違いない。
履いてみるとわかるが、ハイヒール、特にピンヒールの靴は、足の筋肉に不自然な緊張をもたらし、また地面に着く面積が狭いことから非常にバランスが取りにくい。殆ど爪先立ちでいるのに等しいため、余程足をそれ用に鍛えていなければ、長時間どころかたった数歩歩くことも難しいだろう。
ピンヒールはフェティシズムの世界ではお馴染みのアイテムである。そこでは11センチどころか18センチにもなる、バレエのトウシューズのように、ほぼ足先まで真っ直ぐ伸びている状態になるような超ハイヒールが愛されているが、これではよちよちと歩くのが精一杯というか、歩けない。もはや纏足に近い。
これはこれで愛好家が好きで履くのであるので、特に問題はない。
問題はハイヒールを強制されることだ。

人間の足は、本来フラットな状態で地面に着いて歩くようにできている。アーチを描いた足底は、足趾でしっかり地面を蹴って前に進むのに適した形だ。何十キロもある人間の体重は、足趾の第1趾と第5趾の骨頭と踵、そしてその間のアーチで支えられている。それがハイヒールを履くことで爪先に体重がかかるようになると、外反母趾や中足骨痛症といった足の変形やアキレス腱の炎症、腰痛や膝関節症といったトラブルが起こりやすくなる。
ここ数年各国で、女性に仕事の場面で強制的にヒールのある靴を履かせることに反対する動きが盛んになった。女性だけが苦痛を耐えてヒールの靴で働かなければならないのはおかしなことだ。だいいちそれでは作業効率が落ちるではないか。足を怪我しながら仕事をするのは不自然だろう。
ハイヒールをファッションに合わせて美しく履きたいというのは自由だが、仕事の時や長時間立っていなければならない時にヒールの高い靴は不向きである。それをドレスコードなどという言葉で強要するのはもう時代遅れだ。
フォーマルもドレスコードも、時代によって変わってきたものなのだから。

少女性というものに私は、自由でなにものにも束縛されない感性をみる。
別にローファーやスニーカーを履けばいいというものではない。厚底でもウェッジソールでもよいが、誰かや何かに強制されたのではなく、その人がその人の意思で選んだ靴でどこまでも歩いていってほしいと思う。
ハイヒールを脱ぎ捨てて砂漠を行くアミーの中に、失ったはずの少女性を見るのはいきすぎだろうか。


登場した女優:マレーネ・ディートリッヒ(映画「モロッコ」のアミー役)
→「嘆きの天使」で演じたローラの無邪気な邪悪さも、少女というものの一面と言えるかもしれない。
今回のBGM:「ストレンジャー」by 真空ホロウ
→嫌なものは嫌。怒るべき時は怒る。「誰も知らない」といじけずに。

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