267回 口唇よ、熱く君を語れ


口紅の人気が再燃しているそうだ。
コロナ禍の中、我々はみな口元をマスクで隠していた。外出する際はずっとマスクをしているのだから、そんなにしっかり化粧をしなくても良いだろうと思う人が多いことは、想像に難くない。紫外線は気になるからファンデーションは塗るとして、目元は出ているし目立つから眉毛は描いてアイメイクも簡単に。口紅は・・まあ見えないんだからいいか。マスクに口紅が付くのもなんだか汚らしいし、いっそのこと塗らなければいいのではないか。ということでリップクリームなどをちょこっと塗っておいただけで済ます。
実際問題、いくらマスクをしていると言っても、飲食などのタイミングで外すこともあるわけだから、その時他はバッチリメイクしているのに口唇だけすっぴんというのは、ちと体裁が悪い。そのため「マスクに付きにくい口紅」などというものも流行ったが、それにしてもこの数年口紅は劣勢であったことは間違いない。化粧品全体から見ても、口紅の売り上げはかなり減っていたようだ。
それがここに来て、俄然売り上げが伸びているという。

口紅。リップスティック。ルージュ。
古来人類は自らの口唇を赤く彩ってきた。ここで登場するのはお馴染み古代エジプトである。もっと古い遺跡からも口紅と思われるものの痕跡は出ているのだが、はっきりと化粧道具とわかる口紅が出土したのは、紀元前3千年前の古代エジプトの墓からだそうだ。
ほぼ同時期のメソポタミアやインドなどでも口紅とみられるものはあったようなので、大体同じような時期に世界中で人類は口唇に色を塗り始めたのだろう。当時の口紅は、顔料や染料を樹脂や脂肪に混ぜたものを小さい壺などに入れ、それをスティックや指で口唇に塗っていたらしい。
古代ギリシャではヘタイラという特殊な階級の遊女たちが、目や口唇を彩っていたというが、クワの実や紫貝と並んで辰砂が用いられていたというから驚く。辰砂は硫化第二水銀という猛毒であるが、それは綺麗な朱色なので、世界各地で化粧に用いられてきた。それを言うなら白粉も鉛という猛毒である。
古今東西、美しくなるためなら健康を害することも厭わなかったのだ。

紀元前1世紀の帝政ローマ時代には、エジプト原産であるベニバナから採れる紅を使う化粧が盛んになった。しかし紀元2~3世紀になると、女性を罪悪の源泉とみなすキリスト教の影響で、聖職者が化粧を非難する文献が沢山書かれ、それから中世に至るまで化粧は日陰ものとなる。
14世紀から16世紀、イタリアのルネッサンスで再び化粧の人気が復活する。細く赤く塗った口唇が美女の条件であったそうだ。16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスがフランスのアンリ2世の元に嫁いだ時、化粧品や香水を沢山持ち込んだのが人気となり、フランスの香水や化粧品文化の礎となった。
イギリスでは、エリザベス1世が白塗りの顔に真っ赤な口紅をつけていたことで有名である。天然痘の痕を隠すためとされる白塗りは、肌は白ければ白いほど良いとされた風潮に基づいていたが、当時人気のヴェネチアン・セラーズという化粧品は、鉛白を原料に使っていた。口紅の染料も辰砂が好まれたそうだから、彼女が晩年身体を壊したのは化粧品による鉛中毒と水銀中毒からではないかという説もあるほどだ。
中国では赤い紅の原料は古来からベニバナであった。紀元前11世紀の殷の紂王の時代に、燕国の紅花をもって紅を作ったので、紅のことを臙脂と呼ぶようになったという。臙脂というのは今では、黒味を帯びた深く艶やかな濃い赤色の名前として使われるが、そういう歴史があったとは。

日本にベニバナが伝わったのは、605年に僧の雲徴が種を高麗から持ち込んだのが最初とされている(彼は日本に紙と墨も伝えた)。正倉院の屏風に口唇を赤く塗った女人が描かれているが、源氏物語にも近江の君が口唇に赤い紅をさす描写がある。
戦国時代には、敵に首を獲られても醜くないように、武士の出陣の時には眉墨・白粉・口紅は欠かせなかったという。このように化粧といえば「黒・白・赤」が基本だったのだ。
そこから近世になるまで口紅についての記録はあまり残っていない。再度口紅が脚光を浴びるのは、18世紀後半である。
江戸時代後期には「笹紅」というものが流行った。たっぷりと紅を塗ると玉虫色がかった緑色に光るのである。これを下唇にだけ施す。紅は高価なものだったから、庶民は墨を下地に塗ってから紅を塗り、この効果を真似したという。白塗りの白粉の顔に緑色に光る下唇から覗くお歯黒というのは、今の感覚ではなかなかに怖い。その頃来日した外国人の目にも随分と奇異に映ったようだ。
ベニバナから採れる紅の色素は収量0.3%とも言われるように非常に少ないため、金と同じ程高価であった。江戸時代は「紅屋」と呼ばれる紅を売る店が京都に多かったが、現在まで当時と同じ製法で紅を作り続けているのは、江戸末期に日本橋で創業した伊勢半だけである。伊勢半は舞台用の化粧品と共に、キスミー化粧品というブランド名のドラッグコスメを作っていることでも有名だ。

今使われているスティック状の繰り出し式口紅は、1915年にレイモンド・ローウィが特許を取得したことに始まる。その後早くも1918年には国産のリップスティックが中村信陽堂(現在のオペラ化粧品)から発売された。
口紅にはその時代ごとに特徴的な色の流行があった。
バブル期を経験した人は、あの恐るべき蛍光ピンクに光り輝くディオールの475番を覚えていることだろう。本当に猫も杓子もというくらい、大流行した口紅である。黄色人種の黄色味がかった肌色には絶対に合わないあの青味がかった明るいピンク。イエベだろうがブルベだろうが、我々黄色人種の肌には黄色が潜んでいるのだ。あれだけ鮮やかな青味ピンクは、絶対にくすむし浮く、と思う。今ではあのディオールの475番は廃盤になっている。

「赤い口紅が流行ると景気回復のサイン」という言説があるそうだ。
それが本当であるかはともかく、自分の場合赤い口紅をつけるのは気合を入れたい時である。赤にも色々ある。その人に似合う赤は必ずあるのだ。
長らく赤い口紅はつけていなかったが、そろそろ似合う色を探してみることにするか。
今年はどんな赤が揃っているか、楽しみだ。


登場した言葉:色素
→口紅にも用いられるコチニール色素というのは、中南米原産のカメムシ目のコチニールカイガラムシなどから採れるカルミン酸を主成分とする赤色色素である。1kgのコチニール色素を採るには10万匹のカイガラムシが必要とされる。食品の着色にもよく使われているが、近年これによるアレルギーが問題となっており、アナフィラキシーも多く報告されていることから注意が必要だ。
今回のBGM:「彼女とTIP ON DUO」by 今井美樹
→1988年資生堂の「インテグレーテッド・ライブリップ」のTVCMに登場した今井美樹。ソバージュヘアに真っ赤なリップで鮮烈な印象を残し、赤い口紅が大流行するきっかけとなった。


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