299回 アカマツにアカマツのかぜ


ここ数年、庭のアカマツの松枯れが酷くなっている。
家を建てる前から周囲に立派なアカマツが何本も生えていた。この何年かで、その中にポツリポツリとてっぺんの葉が茶色くなっている木が出てきた。10m以上の樹高があるので、普段はわざわざ上を見上げないから気付かないでいたのだが、松枯れ被害を見回っている業者に指摘されて判明した。

そうなると被害を拡大させないために、切り倒さざるを得なくなる。というか、市から切れと言われるのだ。
もちろん自分でそんな大きな木を切ることはできない。なので伐採業者に頼むわけだが、これが費用自分持ちなのである。市から補助金は出る。出るが、そもそもの伐採料金が高い。太さがひと抱えもあり樹高も10mを超すような木を切るためには、1本あたり25万円くらいかかる。費用が出せないからと言ってそのまま放置するわけにはいかない。木は枯れているのでいつ倒れるかわからない。自分の家に倒れられても困るが、隣家側に倒れて家を破壊されでもしたら、伐採費用どころの弁償では済まないだろう。
周囲に他の木もあり、自分の家だけでなく隣家もある場合、根本から切り倒せば良いというわけにはいかない。一番上の方から1mくらいずつ切っては落としていくという面倒な作業になる。高所作業車という特別なクルマを使う場合もあるが、クルマが入れない場所ではロープクライミングという特殊な技術が必要になる。とはいえプロは見事なもので、あっという間に伐採は完了。
さて一安心を思ったら、また新たに茶色くなっている木が見つかった。これではアカマツを全部切るまで安心できないのではと思うと、憂鬱になる。

松枯れ、一般的に松食い虫被害と言われている木材被害は、全国的に見ると昭和54年度をピークに減少に転じている。しかし長野県の中信地方では、この2年程の間に「激害」と言われる程被害が拡大しているそうだ。丁度我が家のアカマツの被害とピッタリ重なる時期だ。
松枯れは明治時代に長崎県で確認されたのが最初で、瞬く間に北海道を除く全国に拡大した。長らく原因がわからず、大気汚染説や酸性雨説も唱えられたが、その後カミキリムシなどの甲虫類を「松くい虫」と総称して、それが樹皮や材部に孔をあけて食害するのが松枯れの原因とされていた。そして昭和45年、マツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウという線虫が根本的な原因であることが判明したのだ。

マツノマダラカミキリは、1匹あたり約15000匹のマツノザイセンチュウを体内に持っている。マツノマダラカミキリが健康なマツの若い枝の樹皮を食べることで、マツノザイセンチュウがマツの材内に侵入する。マツノザイセンチュウが松の材内に入ると樹脂細胞が破壊され、樹脂分泌機能の障害から1~2週間でマツヤニが出なくなってしまう。そして水分の蒸散も止まり、1ヶ月半から2ヶ月もすると松葉がしおれて枯れ始めるのだ。
マツノマダラカミキリは夏にマツに卵を産みつけ、孵化した幼虫はマツの内樹皮を食べながら成長し、越冬した後の初夏に蛹から成虫になる。マツの中で増殖していたマツノザイセンチュウは幼虫の周囲に集まり、成虫になるタイミングでマツノマダラカミキリの体内に入るのである。成虫はマツノザイセンチュウを体内に宿したまま枯れたマツを脱出し、また異なる健康なマツにマツノザイセンチュウを運ぶのだ。

マツノザイセンチュウは北アメリカ原産の線虫で、明治時代に輸入された品物の梱包材に紛れて日本に入り込んだと言われている。体長は1mm程度の小さな線虫だが、卵から親になるまで3~5日という早いサイクルで成長し、またメスは一度に約100個の卵を産むため、マツの材内ではあっという間に膨大に増殖する。
枯れたマツの中には、マツノマダラカミキリの幼虫やマツノザイセンチュウが沢山いる可能性があるので、ただ伐採をすればいいというわけではない。伐採した木をそのまま置いておくと周囲のマツが感染する可能性があるので、ビニールで包んで薬剤を注入し燻蒸する必要がある。以前は木材需要が高かったため、伐採した木が放置されることなどなかったのだが、今は人の手が入らない林も増えて手入れが行き届かず、余計に松枯れの被害が拡大しやすくなっている。
健康なマツを守るために、地上から噴霧器で薬剤を撒き、羽化脱出したマツノマダラカミキリの成虫を駆除する予防散布という方法もあるが、人家があるところでは健康被害が出てしまう。そのためマツに穴を開けてマツノザイセンチュウの増殖を防ぐ薬剤を直接注入する樹幹注入を行うことが多い。

大規模な被害つまり激害地域では、もっと抜本的な対策を講じることがある。
それが「樹種転換」である。名前の通り、その場所に生えている樹木の種類を丸ごと変えるのだ。そのためにまず、被害木の伐採だけでなく病気にかかる前にマツを全部伐る「更新伐」という作業が行われる。コナラやクヌギなどの元から生えていた広葉樹は伐採せず残したり、カラマツを植樹したりして、その地域の植生を丸ごと転換する。
アカマツが密集して生えていた近くの地区で、あるときいきなりかなりの面積のアカマツが一斉に伐採された。なにごとが起こったのかと驚いたが、市の広報を見てみるとこの「樹種転換」であったことがわかった。今では日当たりがとても良くなったその場所には、アカマツに陽が遮られていたため成長できなかったクヌギがすくすくと伸びている。
そもそもこの辺りのアカマツ林は、戦後大規模な植林によりできたものだそうだから、こだわることもあるまい。林業が盛んだった頃ならともかく、今ではスギやマツといった単一種の植林は、花粉症を悪化させるなどと評判が悪い。本当は多様な樹種がバランス良く生えている里山の雑木林の方が、病気や災害にも強いのだ。

かつて人の手が適度に入った里山は、山と里、つまり手付かずの自然と人間の暮らしの中間地帯として上手く機能していた。それが無くなりつつある今、奥山から降りてきたクマやシカ、そしてサルといった野生動物の被害が問題となっている。
農業や林業といったさまざまな人間の働きかけを通じて、里山の環境は形成・維持されてきた。
里山の雑木林は、本来、薪や炭を生産するために利用されたことから薪炭林とも呼ばれている。
しかし高齢化や都市化に伴い里山の手入れをする人手がなくなったことにより、里山は荒れてしまった。そこで色々な地域で、市民・企業・行政が一体となって行う「里山プロジェクト」といったものが行われるようになってきている。当地の松枯れ対策や樹種転換もその一環である。
健康で豊かな林に彩られた里山が復活してくれることを願う。
その前に枯れたマツの伐採費用を捻出しなければならず、頭が痛いのだが。


登場した樹木:マツ
→「三保の松原(静岡県)」「虹の松原(佐賀県)」「気比の松原(福井県)」を日本三大松原という(異論あり)。海岸沿いに何万本と植えられた松林は、景勝地として愛されてきた。乾燥して養分の少ない海岸の土壌で大きく育ち、海からの風や高波・砂から生活を守る松林は、人々の生活を守ってきたのだ。また内陸地では、荒れた土壌にいち早く根付いて土砂が流れ出るのを防ぐ役割を果たす。ただマツはマツヤニが出るため「火を呼ぶ」として、家の近くには植えない方がいいそうだ。
今回のBGM:「われは海の子」文部省唱歌
→「さわぐいそべの松原に」「なぎさの松に吹く風を」とあるように、松林は海辺の原風景になっている。本来7番まであったが、最後の歌詞が「いで軍艦に乘組みて 我は護らん海の國」と国防に関係するとのことで、戦後GHQの指示で7番は削られ、現在歌われるのは3番までである。

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