271回 鍋奉行


冬は鍋だ。
鍋料理が果たして料理なのかという異論を唱える向きもあるかもしれないが、いやいやどうして歴史のある立派な料理である。
毎食毎にほぼ違う料理を食べるという、作る人には多大な労力を背負わせる日本の食卓に於いて、鍋ほど作る人も食べる人も幸せにする料理があるだろうか。これに匹敵するのはカレーぐらいだろうが、カレーを作る手間を考えると鍋の気軽さは群を抜いている。忙しい日々の救世主と言ってもいい。
鍋料理はどの季節に食べてもいいわけだが、やはり冬が一番そのありがたみが身に沁みる。ほかほかと湯気をたてる鍋を囲んで(もちろん1人で楽しんでも良い)、熱々の具材を頬張ると、身体も心もあたたかくなる。
それに加えて鍋はバリエーションの豊富さでも他の追随を許さない。具材だけでなくツユからツケダレまで、使えないものはないではないかという程守備範囲が広い。なにせ「闇鍋」などというものがあるくらいだ(それが果たして食べられるのかはともかく)。
鍋は偉大である。

鍋料理には歴史があると書いたが、鍋のルーツはなんと紀元前1万5千年頃の縄文時代の土器だという。ここは古代エジプトには言及せず、日本に於ける鍋に話を限ろう。
縄文時代に土器が発明されると、その中にいろんな食材を入れて煮ることができるようになった。硬くて食べにくい食材は、焼くよりも煮たほうがやわらかくなりスープも美味しい。そうやって食べられるものの幅も広がり、栄養も無駄なく取れるようになった。
ただこの場合の鍋は、現在のアルミやステンレス製の鍋と同じく調理するためのもので、出来上がったら各々が鍋から取り分けて食べた。なのでここではまだ鍋は調理器具としての存在であり、鍋料理は登場していない。

「なべ」は「肴瓮(なへ)」という言葉から生まれたと言われている。肴は肉や魚や野菜などの食材、瓮は素焼きのかめのことで、土焼きの器でモノを煮たことから「肴瓮」という言葉が生まれ、それが「堝」になったとのこと。「堝」といえば訓読みでは「るつぼ」であり、金属などを溶かすための容器のことと記されているが、本来は単に土でできたかめ状の容器を指したのだろう。
紀元前300年頃、大陸から日本に青銅器と鉄器が伝わる。そして紀元前100年頃から銅の鋳造が始まり、400年頃から製鉄も行われたが、本格的な鋳鉄が開始されるのは6世紀以降と言われている。平安時代中期、宮中の儀式や制度について記述された『延喜式』という書物に、鉄鍋についての記述が残っている。そして金属製鍋の普及に伴って「鍋(かななへ)」という表記が生まれ、「堝」は土鍋を指すようになった。
鉄が貴重だった日本に於いて、鉄は武器や農器具に優先的に使用されたため、鍋に使われるようになったのは14世紀以降だったそうだ。ただ当時の鍋は、大鍋を囲炉裏の火にかけてそこから取り分けて食べる方式であり、ここでもまだ直接鍋から直箸で食べることはなかった。

鍋の利用法が劇的に変化したのは、江戸時代のこと。
庶民の生活は、狭い長屋にかまどは共同で一つ、水も薪も貴重である上に、なんと言っても火事が怖い。食事の支度の度にいちいちかまどで火をおこすわけにはいかないということで、七輪が登場する。鍋に水と食材を入れて、木炭を使用した七輪に置くだけで料理ができるというので、江戸を中心に広まっていった。囲炉裏にかける大鍋に対して、こちらは「小鍋仕立て」と呼ばれたそうだ。浮世絵にも、七輪にのせた鍋をつつく女性の絵が残っている。
調味料も塩や味噌に加えて、醤油や味醂も登場し、鍋料理は大いに発展する。それに伴い「煮込みながら食べる」方式の鍋料理店も登場し、1801年には浅草にどじょう鍋の専門店「駒形どぜう」が開店。そのほかにも、あんこう鍋、あさり鍋、湯豆腐などなど、鍋料理店が大繁盛した。
現在のように、机に置いた鍋を数人が囲むという鍋料理の方式が流行ったのは、文明開化明治時代の牛鍋が発端と言われている。因みに牛鍋は牛肉とネギの味噌じたての鍋で、所謂すき焼きとは異なる。

さてここで私が今年はまった鍋をご紹介しよう。
「常夜鍋(じょうやなべ)」、あなたはご存知だったろうか。たまたまネットで流れてきた記事に載っていたこの鍋料理、私はこの歳まで知らなかった。北大路魯山人が何か書いていたとか、向田邦子が好きだったとか、結構有名な鍋なのだということは、後で知った。
常夜鍋はほうれん草と豚肉だけで作る。両者をさっと煮て、ポン酢をつけて食べるのが基本だ。鍋つゆに味はつけないとされるが、昆布を1枚と日本酒をザバザバを入れても美味しい。豚肉も片栗粉をまぶしておくと、ほんわりとした舌触りになる。
実は私が見た記事では、ほうれん草はちぢみほうれん草を使うと書いてあった。その存在は知っていたがどうやって食べるのがいいのだろうと思っていたちぢみほうれん草。滅多に売っていないちぢみほうれん草。それがこの記事を知った直後に近くのスーパーに売っていたのだ。
これはもう常夜鍋をせよと言われているに違いないと張り切って(家人が)作ったら、美味しいのなんの。山のようにあったちぢみほうれん草は、あっという間に食べ切ってしまった。
常夜鍋は毎晩食べても飽きないことから名付けられたと言われているが、確かに単純であるが故にかえって飽きがこない。でものちに普通のほうれん草でもやってみたが、ちぢみほうれん草ほどの感激はなかった。ちぢみほうれん草は寒締めと呼ばれる路地栽培で作られ、12月下旬から2月にかけての寒い時期が旬と言われている。寒さに耐えるために栄養も豊富だ。見かけたらぜひまたやってみたい。

いまは鍋の元となる鍋つゆが沢山売られている。中にはブイヤベースやポトフ、火鍋やチゲといった世界中の鍋と言えるものもあるが、ここはやはり市販の鍋つゆではなくシンプルに、水炊きや牡蠣鍋といった和風の鍋にしよう。締めにご飯を入れて雑炊にしたり、ラーメンを入れるのもいい。
冬本番でだいぶ気温も低くなってきた。
年の瀬の忙しい時期、簡単で美味しく温まる鍋にしてみてはいかがか。

さて今年も「少女主義宣言」を読んでいただきありがとうございました。
どうか良いお年をお過ごしください。


登場した調味料:ポン酢
→一般的にポン酢というとポン酢醤油を指すが、本来はユズ・カボス・スダチといった柑橘果汁(に保存のための酢を加えたもの)のことであり、オランダ語で柑橘の果汁全般を意味する「pons」が語源と言われている。「ポンス」が日本に入ってきて、「ス」の部分が「酢」と当てられたのだ。そもそも「pons」は、ブランデーなどの酒にレモンや砂糖など5種類の物を混ぜ合わせたカクテルの一種「punch」(フルーツポンチだな)のことだった。この「punch」もサンスクリット語で「5つ」を表す「panc」からきているというから、由緒正しい名前なのである。
今回のBGM:「トゥランガリーラ交響曲」 オリヴィエ・メシアン作曲・リッカルド・シャイー指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
→20世紀現代音楽の最高峰と言われるこの楽曲、大編成のオーケストラで演奏される。さながらちゃんこ鍋のような具沢山とボリュームと言えよう。オンド・マルトノはつくねかな。


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