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続・ザビエさんセッション:わたしの場合ー愛と関係性編 #3 令和の夏に振り返る(2)


↑記事の続きです。

ザビエと向き合って座ったテーブルの上に、持参した全てのチャートを広げると、チャートの主を1枚ずつ確認した上でザビエが最初に食い入るように見だしたのは、わたしの母のチャートとその昔のお相手(以下A氏-仮名-)のチャートだった。それぞれを交互に見ながら「この二人、明らかに犬猿の仲だね。間に入って大変だったんじゃない?」とザビエがわたしに言った。このザビエからの問いかけが、すでに思い出すこともなくなっていたわたしの中の20年も前の記憶を蘇らせることになった・・・そんな気がした。ザビエ氏ご指摘の通り、わたしの母は当時A氏とわたしがお付き合いしていた事実を決して好意的には受け止めることをしなかった、否、できなかった、と表す方が近いのかもしれない。母には母の理由があってのことだっただろうが、わたしにも母のその態度は受け入れることはできず、母と顔を合わせれば何かと言い争いが絶えない、そんな日々がしばらく続いた。

ザビエに「どうやってその彼との関係は終わったの?」と聞かれ、さらに記憶が呼び戻される。その頃というのは、わたしにとって新たな職場での勤務を始めた時期とも重なっていて、自分の生活の忙しなさを理由に、A氏とのお付き合いを「一旦距離を置きたい」という曖昧かつ狡さの入り混じった形で、しかも自分がそうされたらきっと嫌だったに違いない理由と手段(電話1本)で、自分からほぼ一方的に終わらせてしまった。この話をザビエに説明していたら、自然と涙が出てくる自分に驚いたのだが、ザビエは、驚きながら泣いているわたしにこう言った。

「お母さんの猛烈な抵抗に対して、自分の気持ちを諦めさせる形で終わらせたんだね。これで昨日の夢の話と繋がるよ、よくわかった。」

ザビエはよくわかったかもしれないが、肝心なわたしはというと、自分の思考がこのザビエの言ったことに対して即座に反発したことをよく覚えている。「諦めただなんて、そんなことない。自分が色々と面倒になっちゃったからそうしたんだ。」と。するとザビエは丁寧に説明してくれた。

「これまでNaokoが持ってきた異性のチャートの中で、この人が唯一結婚してもおかしくなかったような人に見えるんだよね。きっと付き合いを反対するお母さんと、一緒にいたいはずの彼との間でNaoko自身が疲弊してしまって、本当は何も自分の中で納得しないまま、その関係を終わらせることにしたのではないかな。その時感じるはずだった様々な感情を感じないまましまいこんで、今日まで時間が経過した。でも今、そのしまいこんだ感情に再び触れるチャンスだよ。そのチャンスを活かして次へ進んでいこう。」

この説明をザビエがし終わる前に、お恥ずかしながらすでにわたしは、自分の鼻水と涙でぐちゃぐちゃのギトギトになっていた(汚くてすいません)。ザビエからのアドバイスは、せっかくA氏と連絡が取れる環境にあるなら、相手に連絡を再度とって、今だから思う当時の気持ちについて、直接A氏に伝えてみてはどうか、ということだった。そうすることが、エネルギーの繋がりを「断つ」ということにつながる、と。しかし、このアドバイスを聞いたその時はなぜか「いやいや、流石にそれはできないな。」と思ったのだが、なんだかんだで2018年の大晦日、もうすでに忘れかけていたこのアドバイスをふと思い出して、年が明けてしまう前に!と思い、A氏に再び連絡して、電話で直接このことを聞いてもらう時間をお仕事の合間に取ってもらったのだった。なんとも勝手な話だな、と思いながらも、近況報告も兼ねてザビエのことを説明し、その次に自分のプロセスの説明をざっとして、ザビエのアドバイスについて聞いてもらった。するとこのA氏からも、

終わってないって感覚はオレの中にもずっとあったよ。

とサラリと言われてしまうのだった。「だからこうして話をして、直子が次に進んでいくのはいいことだと思う。」と。ちなみにこのA氏、ご家庭もあり、自身の事業もどんどん拡大中で、ノッてる感じが伝わってきていた。お付き合いをしていた当時は、事業を立ち上げる準備をしていた頃だったと思うと、A氏の努力が容易に伝わってくる彼の現実はとても感慨深いものがあるし、同時に時間の流れも感じる。

こうして、ザビエのアドバイスにあった「エネルギーを断つ儀式」を、A氏立会いのもと、無事終えることだできたのだった。A氏に話している途中に色んな感情が自分の中から湧いてくるのがわかった。主に寂しさや悲しみのような感情だった。だからか、話し終えた後には、妙な爽快感がやってきたのだった。

ザビエにわたし(太陽土星・双子、 月・天秤)がよく言われること。

風の元素(ふたご座・天秤座・水瓶座)が強いNaokoが、感情を感じないようにスルーするのはお手のもの。ただし、そのスルーした感情というのは、消えて無くなるのではなく、自分の中の奥深いところに設置してあるブラックボックスの中に格納されていくので、いつかどこかでそのボックスを開けて、再度その感情を感じ尽くす必要性が出てくる。

実は、同じ時期2018年の年の瀬に、レディー・ガガ主演の「スター誕生 A Star is Born」を近所の映画館で観たのだが、その物語の内容が妙にヒットしてしまい、涙腺崩壊はさることながら、映画を見終わるやいなや下痢になり、数日の間は気分も滅入ってしまう、というある種の浄化作用のようなことが起きたのだった。映画がきっかけでこのような状態になるのは先にも後にも初めてだったが、そんな出来事も、先に書いた大晦日の「儀式」をすることに至った布石、つまりブラックボックスのロック解除のきっかけになったのではないか、と今は思えてならない。

そして、年が明け2019年が始まった。

実は、この時期から遡って1年ほどの間、主に海外の会社が提供するマッチングサービスを使って、わたしにしてはそこそこ真剣かつマメに、男性との「出会い」を求める活動を日々地味に行っていた。がしかし残念ながら、実際のお相手に直接会うまでにはなかなか至らなかったのだった。唯一会ってみてもいいかも、と自分の中で盛り上がっていた北米在住の男性がいたのだが、些細なことがきっかけでその盛り上がりもトーンダウンしてしまう始末。もうしばらくこの手の活動はいいかな、と思ったタイミングと、20年ぶりにシドニーを訪れるタイミングが重なり、2週間ほど日本を離れて、家族の座のインターナショナル・カンファレンスに参加して、好きなことを学んで体験する時間や、現地の友人宅に居候しながら彼女の子供たちと毎日を過ごしたりする「非日常」を体験して、何か新しい時間が始まる感覚と共に、真夏のオーストラリアから春が始まる直前の日本に帰ってきたのが、3月初旬だった。

この時はまだ、2019年の前半、そのオーストラリアへの旅以降に、まさか何度もパスポートを使って海を越える事態になることなど全く想像していなかったし、加えて、本当の意味での「脱ファザコン儀式 (by ザビエ)」がその先に待っているなど、到底予測すらつかないことだった。

人生って、この先に何が起こるかなんて、本当にわからない。
わからないし、わからなくていいのだと思う。

明日へつづく。

実は・・・、先月東南アジア旅行中に使っていたiPhoneが盗難にあってしまい、ザビエのセッションも含め端末に保存していた様々な音源が手元から消えてしまうということが起きたのだが、この記事に書いた昨年秋のセッション音源だけはなんとクラウドに残っていて、この記事を書こうとした時に再度聴けたというミラクル。涙

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