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編集者になって思うこと

人生で初めてnoteに投稿します。

元々SNSとかはあまり好きではなく、どんな誰に、いつ届いてしまうのか分からない場所に発言するのはこわかったのですが、あえてそうすることで自分にプレッシャーをかけようと思います。

編集者になって、5ヶ月目を迎えました。
正直、めちゃくちゃきついです。
きつい理由は明確で、業務プロセスからきています。
あまり詳細は書けませんが、編集長、副編集長をはじめ、多くの方に支えてもらっています。

ざっくり話すと、仕事全体の内容と順番の不透明さからくる細かい業務の追加が余裕のなさを生み、本来ならもっと気持ちを込められるはずの仕事が、ただのタスクになってしまっている、そんな感じです。

取材の数は増えたのに、取材の精度が落ちている。

やりたいことをやる環境を与えてもらっているからこそ、好きなだけコミットできるのに、何かがこぼれ落ちていっている。
自分が努力しても、届かないところに原因がある。
そのことが苛立ちを生んでいます。
何よりも、自分がやっている仕事なのにとりあえずなぞらないといけないタスクをやる時間がたまらなく無機質で、不快です。

ただ、悪いことばかりではなくて、ここ最近はジムの話よりかは、人にフォーカスした取材が多く、その人の根幹に触れたような気がした時は少しほっとします。

文字起こし(取材で録音した音声をWordとかに入力すること)をしていても、「相手がこのリアクションしたってことは私の気持ちは伝わってる」と思えたり、「ここは一言添えてからこう聞けばもっと引き出せたんじゃないか」と反省したり、「この人は心を開いてくれているみたいだ」と安心したり、「この人にはこの質問をしたら喜んでくれるんじゃないか」と準備したり。
自分の中で、この数ヶ月で掴んだ感覚的な部分は少しずつ良くなってきているんじゃないかと思います。取材慣れしてきて、緊張の度合いも落ち着いてきました。
例えば、フィットネスクラブにいって成功のポイントを聞く企画では、ジムのコンセプトや出店経緯は誰が話してもほぼ同じ内容になるけれど、人の考えに光を当てたり、ひいては人生すら見てしまうような取材では、編集者の力量で差が出て、成果物はかなり属人的になると私は思っています。
今まで仲良くしていた友達に「ぶっちゃけこうなんだよね」と話すのとは少し違う。「ぴとえさんになら話してもいいかも、むしろ聞いてもらいたい」と思ってもらいたい。だからこそ、私はできるだけ自分の素のままで接し、共感するスタイルがやりやすいことに気づきました。

取材は生もので、準備がすべて。

準備は下調べだけではなく、自分の人間力をどこまで高められるかも含まれている。

まずこれが、ひとつめの学びです。

下準備のときに、ぶち愛用している無印良品のスケジュール帳たち

他にも、まだ取材が終わっただけなのに「ぴとえさんが書いてくれるんですか?」って私の原稿を楽しみにしてくれる方や、原稿チェックで「素敵な記事を書いてくださってありがとうございます」と言ってくださる方。「表向きはこうなってますが、ぶっちゃけこうなんですよ」と暴露話してくださる方もいらっしゃいました。

それに、私はまだ編集者として全然新米なのに「ずっと編集とかライターされてるんですか?」と聞かれることも増えたし、雑誌の発行の関係でどうしてもスケジュール調整にご協力いただかなければならないとき、期限を1週間後を指定しても即日対応してくれるような方もいらしたりと、編集者としてありがたい言葉もたっくさんもらいました。
また、紙面づくりに全力でぶつかってくれる連載の先生方も心強く、自分の仕事を喜んでくださる方がいることがとっても幸せです。

それにしても、やはり現場で働くインストラクター・トレーナーの方を本当にリスペクトしています。

ご存じの方もいると思いますが、出版社に入る前はフィットネスマシンメーカーでトレーナーをしていました。
比べてもしょうがないですが、今の生活は、自分がトレーナーをしていた頃の忙しさや大変さの比ではありません。
その会社には申し訳ないですが、トレーナーとして働いていた頃の私は本当に甘々の甘々で、もうキャラメルにお砂糖足したような感じだった気がします(甘いっていうか、まずい?笑)。
トレーナーとして様々な業態を経験させていただき、おそらく総合型スポーツクラブで得られるスキルはほぼ一通り触れることができました。
公共施設や、ブティック型ジム、専門学校での授業。
そこで使い込まれるぼろマシン。
同じ業界内を俯瞰しても、デザインが一線を画すマシンだと今でも思いますが、私が経験した場所では使い込まれ傷がつき、取り合いになっていたので、今思えば神秘的です。

そして、良くも悪くもトレーナーに戻ることはできない。

今の仕事で得られる刺激に、しばらく浸っていたい。

話は最初に戻りますが、そういった意味で成功体験が強い私にとって、前年のものをそのままなぞった取材は、手応えがあまりありません。
準備段階で自分で納得してスタートできず、うっすら感じていた疑問(不安)が的中したことが一番の原因だと思います。入稿する期限(原稿を提出する期限)もあるからとりあえず始めないと。そんな前のめりスタートだったんです。

とは言え、これまでのやり方を変えるのには抵抗がありました。

先人たちのやり方を否定する感じがしたし、先人たちがそのやり方でたどり着いているならそうした方が早いと思っていたからです。
でも、取材対象(取材を受ける人)が違うのに質問内容がほぼ同じなのはちょっとセンスに欠けるし、会社を代表してこの人を取材に送り出すなど、そういう想いも込められていると思うと、取材は1回きりのことではなく、今後事業がドライブしていくためのトリガーやフックになる重要な機会だと思うんです。

新しい媒体や企画を担当することで、取材に対する自分の考えが少しずつ出てくるようになり、否定的で視野が狭くなっている悪い傾向も感じています。

そして、まだ致命的な状態には至っていないのに焦ってしまったり、繊細で細かかったりする性格が自分を苦しめている。
そうなるのは、おそらく自信がないからで、自信がないのは場数が踏めてないからだと思います。
そんなこんなで、原稿を書かなきゃいけないのに自分の気持ちを整理するのが先になってしまうほど、ちょっと苦しい状況です。

トレーナー時代と違って、「今日のマンツーマンはやっぱりこの方法にすればよかった」って思うことを明日実践できない。手掛けているイベントが年に1回しかなかったり、発刊が隔月だったりしてG-PDCAのサイクル1周が長い。
今できることは、この改善点をストックして次に活かすのみ。消化不良感に慣れていないから、やり切った感が、達成感がない。

今後、どうやってこの苦難を乗り越えていこうか。

今までのキャリアでは、「頑張って」と一方的に言われて、煽られて奮起してめちゃくちゃ頑張って倒れる、しまいには吐くみたいなことがけっこうありました。

でも、今は違う。

ここでは、「一緒にがんばろ」と言ってくれるNさんや、グチをぶちまけてもとりあえずは受け止めてくれるHくん、ノートで精神的なフォローをしてくれる副編集長、毎週火曜日に1on1してくれる編集長など、「並走」してくれる人がいます。

そして、あと1ヶ月でHくんは退職する。
私はそこで編集者になって半年経つ。
そういう時期にある今、思うこと。
私がしたかったことは、「書く」ことじゃない。

伝えたい。

こんなすごいジムがある、とか、こんなビジョンで世界を変えようとしてる、とか、そんな魅力を、もっと色んな人に、たくさんの人に伝えたい。

それが私の原動力になっています。

だからなのか、原稿の量がはみ出ることが増えて、削る作業が発生するようになりました。
入社したばかりの時は思った以上に書けず、どちらかというと必死に書き足すことが多かった気がするのですが、今はどの話を我慢するか、そんな感じです。
いや、入れられる。私が勉強すれば(笑)

書くことについて、編集長が貸してくれた本で「書く仕事がしたい(CCCメディアハウス刊、佐藤友美)」のなかに、「知ることは愛すること」とありました。
この言葉は、今の私を支えてくれていて、もっと知りたい、もっと伝えたい、という気持ちを肯定してくれます。

私は書く仕事を通して、もっとこの世界を愛したいんじゃないかと思いました。

それがふたつめの学びです。

寝るときにぎゅっと抱きしめてる、愛するうさちゃん

愛っていうとスケールが大きすぎるかもしれないですが、でもそのスケール感が今までの私にはありませんでした。

プライベートで日記をつけ始めてもう7年経ちますが、日記だけでは到底辿り着けない世界に、今、足を突っ込みかけています。

先人たちは、その程度かと笑うかもしれませんが、書いておけばまたこの気持ちに戻ってこれる。
この気持ちを忘れないように、ここに置いて、またつらいときに見ます。

次はもう少し前向きな悩みを。笑

リラックスタイムにつけて、優しい灯りを明日のエネルギーに

最後に、未来の私へ
新しいことを知る喜びを忘れずに
インスピレーションはすぐ言葉に
伝えることを恐れずに
知りたい(愛したい)気持ちはまっすぐに

最後まで読んでくださってありがとうございます\(^o^)/ これからも楽しく続けていきます! サポートよろしくお願いいたします💛