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BL考察1

BLを考えると、相手役が異性(男と女)だと、何が欠けるのだろう。

なぜ、BLの形を取るのだろう。

恋の障壁が同性だと、物語の展開や不安要因の妥当性が設定しやすいからだろうか。

同性の方が、純粋っぽい設定になるとかかな。
(ファンタジーにすぎないとは思うが)

恋の障壁で考えると、身分違い、年齢差、立場(先生と生徒とか)、遠距離。

それに性別が加わったと。

純粋という視点での作品作成だと安心して見てられるのだが、作り手が商業主義一辺倒だと暴力が忍び込む。

あれは、なんなんだろう。

面倒くさくなってそうなるのか、心が病んでいるのか。
弱い側は征服されるべきだという衝動癖か。


又、この頃考えている事がある。

BL同性カップルだと片方が片方の面倒をかいがいしくみるというのが、印象的だ。

あれは、親からの愛情不足を補っているのではないだろうかと。

母性愛を求める甘えん坊な男性が、女性に対して求めるという形もある。

それが男である方がスムーズだという事ならば、それはなぜだろう。

与える方の男性も、与えることで自分が欲しかったものを補てんしてるのではないだろううか。

甘えられると甘えさせるの設定で、そこに『男らしさ』が入らないで心置きなく浸れる状況づくりなのだろうか。

性の衝動でカモフラージュされている、ファンタジーと女性の愚痴なのか。

BLは、女性が主人公でなくて男性が主人公だが、女性のために作られた物語と思う。
ここもポイント。

男性は気が付きにくいだろうが、世の中活躍するのは男性であるという事は女性にとっては 呪いだ。

「えた・ひにん」と同じ役割を、女性性がしていると思っている。

「ガラスの天井」は、当事者でないと気がつかない。

まぁ、またかといった向きもあるかもしれないが。

微妙に、そのマイノリティや半端者とかの人類の課題も含んでいる。

風呂敷を広げてもいけないので、この周辺を考察を続けていくことにしたい。

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