「死」への新たな見解


最近になって、母が本当に末期がんなのだということを理解してきたように思う。

今まで全く実感が湧かなかったんだけれど。

母に伝えたくても伝える手段がない。
母に会いたくてもその存在がない。

それが、「この世から居なくなる。」=「死ぬ」ということなのだろう。
母がこの世から居なくなった時のことを想像して、そんなことを考えていた。

母がこの世から居なくなったあと、
嬉しいことや、夢が叶ったり、
苦しいことや、落ち込んだり、
私は、その思いをどこへ向けたらいいのだろう。
どこに行けば、母に伝えることができるんだろう。


▶︎「死」についての探究

癌のこと、死ぬこと、
最近はそんな本ばかり読み漁っている。

きっと母がいちばん怖いのは、死ぬ事だと思ったから。

抗がん剤だって、相当苦しいんだろうなあ。
母が苦しんでいる姿を、私は見たくない。
それでも、母の側に居たいと思う。

母の側に居ることができない今、私ができることは、母が抱えている「死」への恐怖を少しでも和らげることだと思った。


「死ぬことは怖いことなのか?」
「わかんないから怖いのかなあ?」
「死ぬって何だろう?」

そんなことばから考えているから、
本屋に行くと、死ぬこととか死に方とか、健康や不健康、生死感についての本ばかりが目に入ってくる。

「このタイミングでこんな本に出会うなんて凄いな!」と思うんだけれど、多分そんなことはなくて、いつだってそういった本は本屋の棚に並んでは居たはずだ。

人間は自分の必要な情報をキャッチするようにできているらしい。

そんな本ばかりが、どんどん目に止まる。
他の本は背表紙に何も書いていないかのようにすら見える。

▶︎「死」への新たな見解

そうして、本を漁っているうちに、今まで考えたこともなかった考え方に出会って、凄く興味深かった。

▷死ぬのは悲しい事ですか?

まずひとつ目。

実は、人間ってみんな死ぬらしい。
100人中100人が死ぬらしい。
びっくりだけど。不思議だけど。

死ぬのって当たり前のことらしいですね。
珍しいことでもないらしいです。

「あれ!?私も、みんなも、死ぬんだ?
なんだー、」って納得したというか。
いや、今までもそんなことは頭ではわかっていたんだけれど、自分がどうやって死ぬのかとか考えたことがなかった。

なんでみんな死ぬのに、全員に必ず訪れる事なのに、死ぬとみんな悲しむんだろう?
不思議だ。

▷どうせ死ぬなら「がん」がいい

そして、ふたつ目。
ある書籍にこんな事が書いてあった。

がん患者と付き合いが多い医療者の多くは、「選ぶことができるなら、自分が死ぬ時はがんがいい」と話します。

「緩和ケア医から、ひとりで死ぬのだって大丈夫」より

一般的には、「癌」という病名や病状から、「がんは悪いものだ」「不治の病」というイメージがありますよね。

なので、私もこの記述には「なぜ?」と疑問が即座に生まれてきました。

がんがほかの「大病」といわれる病気と大きく異なる点があります。
それは、医師から「これ以上の積極的な治療は困難です。これからは苦痛を取る治療になります」と言われた時点で、まだ話もできるし、生活が成り立っているという点です。

たとえば心臓病や脳卒中で「いのちに関わる」という状況になったら、意識も亡くなって話すこともできず、後遺症が残ったり、そのまま寝たきりになったり、または亡くなられることも多いでしょう。
ですが、がんは死ぬまでの準備期間が与えられている病気なのです。

同上

がんになったことが良かったことだとは言えなくても、
どうせ死ぬなら(必ずみんな死ぬんだけど)、
「自分はもうすぐ死ぬのだ」とわかった時点で、体はまだ動かせる状態でありたい。
死ぬ前にやり残したことをやっておきたいから。

がんという病気は、他の病気に比べれば、
死ぬ瞬間の後悔を減らせる病気でもあるのかもしれませんね。

お世話になった人に感謝を伝えることもできるし、やりたかった事をやってみたり、行きたかった所に行くことだってできる。

できることは、まだまだあるではないか!

それが、「どうせ死ぬならがんがいい」と言われる理由のようです。

▷もうじゅうぶん長生き


そして三つ目。

ジャネーの法則をご存知?

きっと名前を知らなくても、内容は知っている!という人も多いのではないでしょうか??

ジャネーの法則というのは、
「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」という法則。

みなさんも実感しているのではないでしょうか?
小さい頃は、楽しみにしていることが来るまでが長ーーーかったのに、今はまだまだ先だと思っていたことがいつの間にか明日になってる...とか、

昔に比べて一年が経つのが早くなっている!とか、

これは、
歳を取るにつれて、自分の人生における「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるから、だそうですよ。
(それを、ジャネーの法則といいます。)

【ジャネーの法則】
1歳の1年を365日とした場合、2歳以降に1年を何日と感じるか。

1歳 365日
2歳 138日
3歳 122日
4歳 91日
5歳 73日
6歳 61日
7歳 52日
8歳 46日
9歳 41日
10歳 37日

11歳 33日
12歳 30日
13歳 28日
14歳 26日
15歳 24日
16歳 23日
17歳 21日
18歳 20日
19歳 19日
20歳 18日

21〜23歳  16日
24〜25歳 15日
26〜29歳 13日
30〜34歳 11日
35〜40歳 9日
41〜48歳 8日
49〜56歳 7日
57〜66歳 6日
67〜81歳 5日
82〜100歳 4日

そこで、母がもし1年後に亡くなったとして、日本人女性の平均寿命である87歳まで生きられた場合と比較すると感覚的には何年くらい早く死んだことになるのか、計算してみました↓

1歳〜10歳で1026日
11歳〜20歳で242日
21歳〜30歳で141日
31歳〜40歳 で98日
41歳〜50歳で78日
51歳〜60歳で66日
(51歳〜58歳で54日、59歳〜60歳で12日)
61歳〜70歳で56日
71歳〜80歳で50日
80歳〜87歳で29日

母はいま58歳なので、
1〜58歳まで足すと1639日間

そして、平均寿命まで生きられた場合、
59歳〜87歳まで足すと+147日間

ということは、平均寿命まで生きる人生の、80%くらいは生きているということになりますね。

母がもし平均まで生きるとしても、その日数って、感覚的に言ったら今からわずか147日なんですね。意外と短い。


これはどういうことかというと、
母がこれから平均寿命まで生きた場合の日数というのは、
今4歳の甥っ子(母からしたら孫)が、5.6歳の人生を生きるくらいの感覚なんですね。恐ろしい!!!



そう考えたら、
平均寿命まで生きても、感覚的に「まだまだいっぱい生きられる」わけでもないし、
割と死が訪れる日はすぐ来そうですね。

▶︎私は好奇心を持って死にたい

こんなことが、励ましになるのだろうか...(笑)

わからないけれど、「死ぬ」という、私にも必ず訪れる未知のことについて考えるのは、なかなか面白かった。

私は知らない世界を知るのが好きだから、
自分が死ぬ瞬間も、「『死』について知りたい」と思えたらいいなと考えてみた。

そんな不吉なことを言うなと思われるかもしれないけれど、どうせ死ぬんだったら、ちゃんと前を向いて死に向かい合いたいと思ったのでした。

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