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謝れる人、感謝できる人、許せる人

コロナによる世界中が大混乱の中、たくさんの「見直し」が人々の中に生まれたように思う。

働き方や生活の見直し、人との繋がり。会議や授業、接客やイベントはオンライン化し、人との距離が物理的にうまれたことによって、自分自身と向き合う時間がうまれた。例によって私も、快適に過ごす部屋づくりをし、健康的な心身づくりを目指して、ヨガや瞑想を始めるきっかけにもなった。

それから大学時代の就活や、うつ病を経ての転職。日々の生活をめぐる「お金と仕事の面」という意味で人生を考える機会はいくらでもあった。でも「命」という人生について考える機会は、あっただろうか。
そんなことを考えながら、冬至を迎えました。


モクレンが春を夢見て、つぼみを丸めていました



社会現象がきっかけで考えさせられたことは、勿論ある。
東日本大震災を東京で経験し、被災した現地へ住んでみて感じた「誰もがいつ死ぬかわからない命で生きている」ということ。コロナという感染症が流行った社会で身にしみた「健康でも死に至るウイルスが生まれ得る科学社会で生きている」ということ。

人生何が起こるかわからない。社会でも何が突然起こるかわからない。2011年と2020年の出来事から、嫌でも気付かされた。

命を脅かす存在に抗うように、基本的な生活必需品の備蓄もしているし、避難バッグも用意して、できる範囲で命を守る準備はしてある。
2023年の年末に差し掛かっている今、あの脅威から得た教訓を捉え直してみると、どうだろう?

私は、やっぱり幸せに生きていたい。

苦しかったり忙しかったり、どんな状況にあったとしても、常に小さな幸せを感じられる自分でありたいのだ。きっとそれが自分を救い、他者を救えると思うから。
そんな私になるために、これを2024年の目標の一つにした。


謝れる人・感謝できる人・許せる人

この3つが自然にできる人になりたい。

謝れる人
=等身大の自分を認める・意地を張らず、傷つくことを恐れない

謝れる人って、単純に素敵だ。何か間違いを犯したり人を傷つけてしまったとしても、善悪で判断したり、自分を守るために意地を張るのではなく、素直にその状況を認められる人でありたい。
責任を問うのではなく、まず謝ることが、調和の始まりだと思う。(最近の多くの不祥事問題をみていても、思う)

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感謝できる人
=愛をもって人と接する・人には勿論、自分にも感謝を伝える

「すみません」という感謝の仕方を、やめてみたい。
エレベーターで譲られた時、落とし物を拾ってもらった時に言いがち。何かしてもらった時に、英語でSorryなんて言わないはずだ。それから、目を見て感謝を伝えることも時々意識していきたいな。

(自分に毎晩ありがとうと言って眠りたい。この本も気になっている)

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許せる人
=怒りや悲しみを持っている自分を許す・負の感情を優しく手放す

過去から現在まで心に残り忘れられずにいる、怒りと悲しみが私にはある。どうしたらこの人を許せるんだろうか?無かったことにすべきなのか?と、この感情の処理に、何年もずっと苦戦していた。怒りという「執着」を手放すには、全てを水に流さなければならないと思っていた。

けれど、本やYoutubeを通して、むりやり処理をする必要はないことにやっと気づいた。怒りも悲しみも捨てようとしなくていいのだ。
ただ一つ、イメージ的攻略法を見つけたから。

①目を閉じて、自分の胸の辺りから「怒り」の感情の塊を両手で取り出す。
②その塊が何色か、温度や重みはどうかイメージして、観察する

たったこれだけ。イメージしている間にも呼吸は少し深くなり、ただ観察するというだけで癒されたりする。最近はこれを実践していて、何度もそうしているうちに「もういいや」と思えてきた。
大切なのは、相手を許すことよりも、自分に湧き上がってきた感情を認めてあげることなのだと、心から理解できた。



2023年は、自分の考えがより自由になったように思う。だから2024年は、どんどん気づきを活かして、私らしさを解放していきたいな。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



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