どこまでの将来を考えて今を決定すべきなのだろうか。

時間は過去から未来へと流れているように感じるけれど、実際あるのは現在だけだと思う。
それなのにいつも私たちは未来のことで悩んでいるし、過去の思い出話に花を咲かせている。
まるで今目の前のことから目を逸らすように。

目の前にある今を大切にするってもしかしたらすごく難しいことなのかもしれない。いや、難しいというより、一人で行うには少し荷が重いことなのかもしれないと最近思う。
だから人は過去や未来に目を向けて、なるべく今を見ないように(見る時間を少なく)しているんじゃないかな。

現に私は、現在をまさにガン見している状態で本当に辛い。自分の心をどう保てばいいのか、どの感情や、どの状況を優先的に考えて自分の今に決断を下していけばいいのか、正直分からない。
分からないことだらけで辛いと思った。
学生時代の勉強では答えのある問としか向き合ってこなかったけれど、今私が悩んでいる問題には正解がない。
大人になるというのは答えのない問いに向き合って、自分の選んだものを正解にしていくということなのかなあと感じる。

でもそれがなかなか一筋縄ではいかなくて。そんなことでちまちま悩んでたなーって思える未来を待ち遠しく思ってしまう。そしてほら、やっぱり理想の未来を想像してる。でも、そんなのが理想なのかって思うと笑えてくる。理想ちっさ、って思う。
(欲求を満たす方法が溢れている時代にも、辛い思いをすると人間はそんなことでも理想にできてしまう。ま、本当に辛い人間からしたらこの理想は全く持って「そんなこと」ではないし、無意識のうちに考えてしまうことだよね。)

私の不幸話をしたいわけではなくて、ただただ今の何も決断できない自分にイライラしている。
本当は大切な人の悩みや不安に寄り添って、一番近くで支えてあげたいのに全くその余裕がなくて、それも悲しくなる。自分が小さい人間に思えてしまう。

決断をしたらあとは来るべき結果が待ち受けているだけなのだから、きっと大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫。大丈夫を三回言うと本当に大丈夫になるというおまじないは私が自分でつくったもの。

未来に起こり得るありとあらゆる可能性について考えていてもキリがない。自分で決めて自分で動く。
自分がなりたい将来の姿はぼんやりだけど、ある。ちゃんとある。だから少しでもそれに近づく選択をすればいいのだ。
たとえその選択を周りに否定されても、自分を一番知っているのは自分だし、自分の選択を一番近くで肯定してあげられるのも自分だから、私だけは私の一番の味方でいよう。

そしてできるだけたくさんの人に、「私はあなたの見方だよ」と言える人間でいよう。その一言で救われる人がいると信じて。

だから、あらゆる選択は、今の自分と向き合って相談すればいいと思う。人の意見を聞いても聞きすぎない、心の中心ではなくそこよりすこしずれたところで受け止めよう。そういう意見もあるよねって。私は誰も否定したくないから。


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